交 野 探 索 記

磐船神社

 みなさん、どうも。
  慎です。
 20年来の思いがかなうと言うのは、やはり意味がある事なのでしょう。
 交野の磐船神社・星田妙見は行きたいと思いながらも、何故か行けぬままに来た場
所です。
 天河(そう言えば交野にも天川あるな・・・・・)も、20年思い続けて行くことが叶
わなかった場所です。
 2000年夏、この二つに行くことが叶い、導きに感謝しています。
 
 交野への探索はHさんからのお誘いでした。
「7月7日にMさんと交野を回るんですけど、車の定員が四人ですから、後二人いけ
ます。しげさんとご一緒されませんか?」
 三輪で私としげさんが「行きたいのになかなか行けない」とこぼしていたのを覚え
ていて下さったようです。
 私もしげさんも、一も二もなくお誘いに甘えました。

 当日、小一時間早く駅前に到着。
 喫茶店でモーニングのつもりでしたが・・・・・ない!
 周辺にはどこにもないんだな。(T_T)
 なぜか和菓子屋さんが開いてまして、なかでお饅頭食べてました。
 やはり神社巡りするらしい青年が、私を同類と見たのか、「この辺りは喫茶店もな
いんですねぇ〜」と和やかに話しかけてくれます。
 グラサンした私に笑いかけるとは凄いぞ。バキッ(.☆)\(^^;
 一緒に回りたかったんかもしれない。
 HさんとMさんが向かえに来てくれたのを何とも羨ましげに見ている視線が痛
かった。(^^;

 しげさんがちと遅れるそうなんで、先に織物神社を見に行きます。小ぶりな神社で
すが、七夕でお祭りがあるらしく、出店や関係者の車がいっぱい。奥に駐車場がある
そうなんで、神社の裏手、幼稚園との境に止めます。
 神社の側に幼稚園や学校って構図は多いもんですね。
 ここは鎮守の森が少し残ってます。
 なんか妙な濃さだな・・・・・と思っていますと、神社裏口から先にMさん、Hさ
んが入ります。
 後に続こうと思って思わず立ち止まります。
 入り口横にあるこの小屋みたいな建物はなぁに?(^^;
 なんか瘴気が出てる・・・・・
 物置のようです。なんだろうなと思いながら境内に入りますと、眼前の光景に息を
飲みます。
 境内が妬く3メートル程の笹で埋め尽くされています。
 幼稚園児の短冊で飾られたそれらは、圧巻です。
 良く新築の敷地を同じ程度の長さの竹で四方を囲み注連縄をする光景を思い浮かべ
まし

境内にひしめく短冊 拗ねてます〜

 なんかとてつもない払い清めの儀式に思えます。
 右後方、例の小屋の横手から瘴気が強く来ます。
 見て見ると、敷地の奥に当たるからなのか・・・・・ご神木にしても良いような木の側
にゴミ袋と材木が山と積んである。さらにその横手には岩磐・・・・・
 省みられていないようです。拗ねて瘴気も出すでしょう。なんかひげ面の親父が睨
んでいる。(-_-;)オレシラナイ・・・・・
 取り敢えず、拝んでおいて、竹の群を潜り本殿前へ行きます。
 をを!! 真新しいちぬの輪!!!!

ちぬの輪 展示されてる機織り機

 やはり払い清めの色が強いぞ。
 くぐり方の説明まである。
 信仰は厚いものがあるらしく、きちんとした神社です。
 祭神は二神の七夕姫・・・・・?
 なんで二神?
 そう言えば、この神社、鳥居と参道が本殿に向いていない。

   本殿
  森  森
参道 敷地 参道
 小屋  小屋

 概略的にはこういう配置です。森が濃い。
 右手参道には機織をおいた資料室的なものがあり、ご婦人達が作品展示の準備して
ます。
 覗くと、今晩来て下さいねと言われます。
 今回、相対的に感じたのは、各神社で歓待された事です。
 世話をする氏子の方々は参拝客に大変親切です。
 森の奥など調べたいところでしたが、しげさんを向かえに、ここを後にします。

 しげさんと合流。
 磐船神社へ向かいます。
 Mさんが今回に集めたパンフやら、怪しい三角が書き込まれた地図を見せて頂きな
がらドライブ。
 地図で見ると怪しい神社が点在しています。賽神社って・・・・・
 パンフからもこの辺り一帯の濃さが伺えます。
 空海が仏眼仏母の法を行った時、星が三つ降ってきたとあります。
 その三点は正三角形を示すそうです。(二等辺三角形だったかも・・・・・)
 仏眼仏母・・・・・仏教徒でも知るものが少ないこの仏。仏教の教えの上でも秘仏で
す。全ての仏の母に当たるとされます。
 その修法は秘中の秘。
 日本においては極めて限られた人がその存在と修法を知るようです。
 空海云々の伝説は怪しいですが、星が降ったと言う逸話がこの辺りの土地の所以を
語るのは間違いないでしょう。
 これから向かう磐船神社はニギハヤヒノミコトが天津磐船に乗り降臨したと言う日
本最古の聖地の一つです。
 物部氏の没落により廃れたそうですが、集めた資料や写真では、そこが尋常でない
事は十分に伝わってきます。
 川を覆う巨大巨石群。
 その巨石により作られた洞窟を潜る胎内くぐり。
 行けなかった理由の一つには、三輪同様、一人では怖かった事もあります。
 自然、胸は高鳴ります。
 
 道は大きなカーブをどんどん登り、南へ登ります。イメージとしては京都側から生
駒山脈へ登る道になります。天野川沿いに168号線を南上します。
 この道は面白い道です。
 霊峰生駒山脈を南北に貫き、竹ノ内街道と十字クロスで葛城に至ります。さらにほ
ぼ直進で南下すれば、鴨山口神社を経て高鴨神社に至ります。さらに街道沿いに南下
しますと五条へ至り、吉野川・丹生川などの合流地点へ行き当たります。
 そこに智弁学園で名高い弁天宗本部を見る事になるのは偶然でしょうか?
 住宅街を抜け、景色が山中のそれに変わると、霊波にビンビンとアンテナが反応し
ます。
 後日、地図を確認すると、当然で、星田妙見と獅子窟寺(共に星が降った場所)の
ラインを突き抜けています。それにしたってこの感覚・・・・・山の中には地図にはない
社や仕掛けが多々あるよう感じられます。
 おや?・・・・・「大阪市立大学附属植物園」
 をを! 勤務機関ではないかい?!(^^;
 あっちの山には稜線沿いに木製遊歩道・・・・・暗くなると無茶怖そう。(゚-゚;;タラ〜
 そうこうするうちに「鮎返しの滝」
 名前の通り、昔は水量が凄まじく、鮎も遡上出来なかったんでしょうね。
 霊場だったようですが、今は入り口が粗大ゴミの違法投棄の場所になり、気が荒む
事甚だしい。なんとも言えぬ怒りを覚えます。
 ここまで来ると磐船神社はすぐそこです。
「をを!」
 思わず声を上げる巨石が見えました。
 磐船神社は168号線のすぐ側でした。
  鮎返しの滝を過ぎ、左カーブで山道を川沿いに登ると、川を覆う巨石群が目に入り
息を飲みます。
 磐船神社です。
 川沿いに横に長い敷地が特徴的です。
 駐車場らしきものはないので、鳥居を潜り由緒書の前に車を止めます。
 由緒書の左横にお堂のような本殿があります。お堂の後ろは超巨大カプセルのよう
な巨石で、形からしても自然のものに見えません。
 空から下りて来たと言われると納得せざるえないものです。
 デジカメではその巨大さを写しきれるものではありません。
 しげさんはまず、お堂に直行し、次に由緒書の撮影に写ります。実に精力的に動い
ています。
 由緒書はガラス戸で覆われています。上手く写せないと言うので、戸を開けてしま
えば良いと言いながら、私は鳥居から外に出て、もう一度入り口からの全景を見ま
す。
 交通量が少ないとは言え、うねったカーブの山道は狭く見通しが悪く、山手の崖の
側まで行って、ようやく鳥居の全景を写せる程度です。
 鳥居を潜ると両横に巨石があります。
 敷地内の巨石の規模が大きすぎて、石碑程度の感覚になりがちですが、これも十分
大きいものです。
 苔むした上に巨木の根が絡んでいる辺り、相当の年代を感じさせます。不動明王が
刻まれていたりしますので、後年、修験僧が修法の場にしたのかもしれません。
 二枚の石版に神様の名か歌か刻んだものを石にはめ込んでありますが、判読は出来
ませんでした。
 いずれにせよ、この二つの岩も日の出を拝むのに利用した形跡がありました。
 鳥居をくぐり左手に敷地は広がります。
 お堂から少し奥手に磐船稲荷大明神があります。
 なんだか気が荒そうです。
 胎内くぐりで有名な巨石群の側まで行きます。赤い鉄柵で鍵がかけられています。
 社務所の許可を貰わないと入れない仕組みです。

巨石郡 入り口。下に見える穴から入る。

 一見しただけでこれは当然と思います。
 相当危険に見えます。少なくとも子供連れでは入れない場所です。
 参拝料は300円なんですが、規模に圧倒されたのか、私には3000円に見えまし
た。(^^;
 むしろ、その位の料金を取ってでも入る覚悟がある人のみを入れた方が良さそうに
思えましたが・・・・・
 鳥居の位置まで戻り、川にかかった橋を渡って社務所へ行きます。
 橋からは巨石群が見渡せます。
 一同思わず声を上げて見入ります。
 巨石の一部に六地蔵が掘られています。
 そして、川の中央。巨石群の手前に蛙の彫刻・・・・・
 蛇に対抗して置いたものなのでしょうか?
 あの位置に置くからには必ず意味があるのでしょうが、どうにも推察出来ません。
 社務所は普通の家屋に見えました。
 少なくとも、これだけの霊地を守る方がいるように見えません。(失礼)
 実際、対応に出られた方もごく普通の方に見えました。
 Hさんに「白装束に着替えるのよ」と聞いていたので、どこかで禊ぎをして裸
になり白装束のみを羽織るのかと私は思っていたんです。
 それ位の敬意は払うべき場所だと思いました。
 実際は全ての手荷物を預けて、衣服の上から白い着物を羽織るだけのものです。
 その着物も湿気ていて汚れています。
 ちと身に付けるのもためらう代物です。
 結局、これは衣服が汚れるのを避ける程度の代物に成り下がっていたようです。
(T_T)
 実際、胎内潜りすると岩の苔やらなんやらで汚れるんですけどね・・・・・
 この辺りから、なんかおかしいぞと違和感を覚えます。
 庭先には何故か錆びた砲弾(高射砲かな?)が二つ飾ってあります。MさんがH2さん
が喜ぶだろうと撮影していました。
 ここからは上流が見えます。
 誘いを感じますが、単独行ではないので特攻はしません。
 社務所のおじいさんの案内で巨石群へ向かいます。
 鍵を開けながら「滑りやすいからとにかく注意するように。道はペンキの矢印通り
に進む事」と強調します。

ペンキで描かれた通り道

 時間について話がなかったので、「どの位かかるものですか?」と尋ねると「30
分もかからない」との事でした。
 なんか、数時間はかかるように思っていました。20年の追慕が壮大なものになっ
ているようです。
 まず、巨石と巨石の隙間の穴を下りるのですが、Hさんはびっしりと岩に張り
付いたムカデを見てしまったそうで、怯えています。
 私はここでは虫の姿は一つも見なかったのですが、常に視線を感じていました。
 先頭は私。HさんとMさん、しんがりがしげさんと言う形で中へ入ります。
 中に入って思うのは、まるで川を覆うようにして何故これだけの膨大な巨石がここ
に集中しているのか? 一見雑然としているが、規則性があり、中の隙間の構造が崩
れた痕跡すらないのは何故か? と言う事です。
 人工なのか天然なのか判断しようもありませんが、日本でも最大規模の霊場でしょ
う。しかし・・・・・なんだ? この霊気は?
 残滓はあります。しかしそれは数千年前のものです。それでも清冽ですが・・・・・
 今は本体がおられない。
 雑魚が入り口と出口の辺りの暗がりにちょこちょこ祀られている程度です。
 なんだか悲しくなります。
 私達の精神性の衰退をここは体現しているかのようです。
 
 それでも、ここが秀逸なミステリースポットである事には変わりがありません。純
粋に楽しむ事にします。
 胎内潜りはスリリングです。雨が降ったりすると立入禁止になるそうですが、当然
でしょう。危険すぎます。
 まず、岩と岩の間に体を足から落とすようにして潜り込むと、かがんで歩けるスペ
ースがあります。そのスペースも順路通りに歩かないと危険です。
 決して小さくない川がこの巨石群の中を流れています。
 上流から流されて来たのでしょう。菓子袋が落ちてます。なんとも悲しい思いでそ
れを拾います。
 途中、川を渡る板橋や、岩と岩を結ぶ丸太などあります。不安定きわまりなくアス
レティックの様相を呈して来ます。
 途中、小さな滝がありました。砂は砂金のように見えます。三角州です。
 純粋に霊気があります。まずは女神でも祀る場所でしょうが、祭祀の跡はありませ
ん。とりあえず柏手を打ち拝みます。
 そうこうすると背後から華やいだ声がします。
 上の穴から、Hさんが下りて来ます。おみ足に見とれる。
 次にMさんです。Hさんが足をかける所を指示してます。お尻に見とれる。
 ラストはしげさん。
 姿が見えた瞬間思った事。くぐれるのかな? お腹に見とれる。
 ここから又、巨石にしがみつくように登ります。
 難所が続きます。横たわらないと通れない場所もあり、甲賀三郎にならなきゃ良い
がなどと思います。
 しばらく行くとぽっかりと空が見える場所に出ます。
「おお!」思わず声が漏れそうになります。
 陽光が金の柱として見えます。
 向かい側に見える苔むした丸い巨石は座って朝日を拝むのに絶好のポイントです。
登りたいと思いますが、流石に近寄りがたく危険でもあります。

差し込む陽光 自然の滝

 なにより、そんな事で時間を潰すとみなさんに迷惑です。
 そっちに見とれて陽が差す方向へ行くと、道がない・・・・・(..;
 左下からHさんが「SINさん、こっち」と声をかけてくれます。
 白いペイントでいくつも矢印が描いてある。
「足から入る!!」の文字が大きい。
 思わずみんなで顔を合わします。なんかうねくった穴へ落ちて行くみたい・・・・・
 最初の矢印が示す穴へ足から入ります。・・・・・足場がない・・・・・暗くて確認出来ない
のでつま先伸ばすと足場が分かります。
 ずるりと落ちる感触で下へ着地。
 矢印の指示通り、足先から蛇のようにうねうねと下へ行きます。
 洞窟の底のような場所へたどりつきます。
 ようやく体を伸ばせる空間ですが・・・・・なんか淀んでる。(^^;
 川へ申し訳のように板をかけ、橋にしてます。
 Mさんは渡るのに随分躊躇していました。
 渡ると上に登ります。何故か暗さが増してきます。
 細い洞窟の壁側を登って行く感じです。
 闇の奥に祠があります。誰が祀ったのか、正体不明で怪しさ爆発。伏見を思い返す
な。写真撮ってしばらく行くと出口。
 え、これで終わり?
 正直な感想がこれでした。
 15分もかかっていないんでないかい? これならあそこで座れば良かったなどと
思いました。しかし、考えたらあのコースが倍の長さなら体力的に死んでいた
な・・・・・
 出てしばらく山道登ると上が濃い!
 自然に私としげさんはダッシュします。誰が祀ったのか川手に半円形の岩。ただの
石じゃない。この辺りの木の枝はや幹は何故にこうも捻れているんだ?
 などと思っていると社務所の横の岡に出ます。
 神様満杯!

神様満杯

 天磐船宮と刻んだ石が天の岩戸の宮に見えた・・・・・(゚-゚;;タラ〜
 まぁ、ここなら当然かなと言う神様が多い中、丘の上に結界のように通せんぼして
いる石碑に刻まれた「オキ大神」ってなんだろう?
 上に行こうとしますが、蜘蛛の巣が執拗なまでに絡みつきます。
 少々剣呑な様子ですし、目的地らしきものは相当距離があるようなのんで諦めて下
ります。
 鳥居を潜ると社務所の裏庭でした。
 人なつこい犬が甘えて来ます。この犬小屋の裏に稲荷のような社があるので、まと
わりつく犬をあしらって祭神を確認します。
 天雷王大神・白竜大神・福高大神
 どういう神様なのか知りませんが、随分怖い気がします。
 犬は眉の辺りに、ブドウの粒のような肉腫みたいのがあります。
 Hさんが「蛭だよ。SINさん取ってあげて」と言います。
「破裂するんだよ・・・・・」
 そう応えて逃げました。
 私にはこれも罠に思えたのです。

 次はさっきのゴミ捨て場のような場所が気になるので行ってみようと言う事になり
ます。
 下りて見て。その酷い様に改めて怒りを覚えます。
 隣は寺のようなのに、この惨状に手を出さないんでしょうか?
 鳥居を潜り、川に下り、しばらく行くと、物置のような廃屋があります。
 おそらく、かってはここで着替えて滝行したのでしょう。管理者がいなくなったの
は最近のような気がします。恨めしげな老婆が見えた気がしましたが、もしかすると
最後の管理人なのかもしれません。
 滝馬の入り口で私は思わず立ちすくみました。
 瘴気が凄い・・・・・
 廃れても祀る人はいるようです。不動明王もいるし正体不明の神様もいますが、状
況は伏見や羅刹谷と同じです。
 他の方々には待ってもらい、大声で九字を切ります。
 取り敢えず入れるようになりましたが・・・・・なんだってこんなにいる・・・・・(^^;
 余程、祭祀が途絶えているようです。
 かなり素晴らしい修行場になる場所ですが、相当力のある方々が復興しないといけ
ませんね。
 取り敢えず写真を撮ります・・・・・あ、写った。( __)_/

荒れたお滝場

 流れそのものは清いので恵さんは石を浸けたそうです。
 後で、流れの写真を見せたらMさんは引きつっていました。
 車は岩磐神社を後にして、平野部へ下ります。そこから高台へ向かいます。高級住
宅街へ入ります。
 こういう所にあるんかいな?
 そんな事を思っていると、細い川の横手の道を登ります。
 都会の川としては珍しいまでに清いものです。
 住宅が消え、川の横手に公園や竹藪が見え始めます。気が泉北に似ているななどと
思っていると真正面に鳥居が見えました。

参道 入り口

 鳥居横には青と黄色の派手な提灯のようなものに長いヒレを付けたようなものを飾
っています。
 祭りの準備で随分にぎわっています。
 テレビ局の取材もあるようで、機材を積んだ車が止まっています。
 鳥居の左横から先ほどから眺めていた小川が流れています。天然の結界に思えま
す。
 鳥居の手前の石造りの橋の横に車を止めました。
 橋の向こうに山へ続く坂道が見えます。結構面白そう(普通の人は怖そうと言うの
かもしれない(^^;)なんですが、やっぱ、正式に鳥居から入るべきでしょう。
 本当はここで地図を書いて、この神社の配置を知って頂くのがベストなんですが、
面倒なんで文章で説明します。
 ちと想像力を働かせて下さい。
 鳥居に向かって左側は山の斜面です。参道と山とを区切るように小川が流れます。
 山は二瘤型です。まず低いのがあり、抉るような凹地から急斜面でやや高い山があ
ります。この高い山が「妙見山」になるんでしょう。
 後から地図で確認して分かる事で、これは現場では分かりません。
 祭りの前のにぎわいと出店やらで参道は細く見えます。
 夜なら「通りゃんせ」を歌いたくなる感じです。
 鳥居に至る参道の両端に灯籠がありますが、鹿が彫られていました。
 祭りの前の賑わいにも関わらず、鳥居は結界としてそびえて見えます。
 明らかに向こう側は違う空間に見えます。
 しげさんは早速特攻しています。由緒書で唸っています。
 後を追う形で、Hさん、Mさんが行きます。
 私はしばし立ち止まり、気を探っていました。
(なんだ・・・・・これ?)
 様々な気が要所要所で立っています。
 それぞれ別物でありながら、境内の中で統一されて、なんとも不可思議な感じで
す。私が強く惹かれるのは低い方(仮に雌山とします)の山です。
 もの悲しいと言うのでしょうか?
 なにやら胸が締め付けるられる生の感情が感じられます。贄にされた巫女が祀られ
た場所では、良く感じる気ですが、ここのはまるで生身の巫女を前にその訴えを直に
聞いている程に強いものがあります。なにかすがられている思いがします。
 何をすがられているのかは分かりません。
 取り敢えず、しげさん達に合流します。
 しげさんは由緒書に興奮していました。
 
----------------------------------------------------------------------------
 当霊山は平安時代の引仁年間(810〜824)に弘法大師・空海上人が私市の獅子窟寺
の岩屋で仏眼仏母尊の修法をされた時に当霊山に七曜の星が降臨し、大師自ら「三光
清岩正身の妙見」と称され北辰妙見大悲菩薩独方の霊岳・神仏の宝宅諸天善神影向来
会の名山。星の霊場として奉られました。又、当宮を一点として当村内の光林寺と星
の森の三点に一辺を八丁として降臨するを以て「八丁見所」と云われ、当村を三宅庄
星田村と称されました。当御祭神は神道にては天之御中主、大神仏教にては北辰妙見
大菩薩、陰陽道にては太上神仙鎮宅霊符神と申されます。
 星祭り 2月8日
 七夕祭 7月7日
 星降り祭7月23日

 星田妙見宮
----------------------------------------------------------------------------

 多少その道に覚えがある人なら思わず「おい・・・・・」と突っ込みたくなるような事
を平然と書いてます。
 覚えが無い人でも「神道」「仏教」「陰陽道」が一体として奉られる聖域は珍しく
思われるのではないでしょうか?
 断言出来るのは平安時代初期に、元々聖地であったであろうこの場所に、あらゆる
霊能者を総動員してここを守護の場所にしたと言う事です。
 由緒書を撮影していたら、出店のおばちゃんに「どこのTV局や?」と聞かれまし
た。私達、報道陣に見えるんだろうか?(..;

 ところで鳥居は南向きでしたろうか? 北向きでしたろうか?
 結構意味が重要です。向かって左の山が西向きなのか東向きなのか知りたい所です。
 しばらく行くとちぬの輪があり、お酒を振る舞われます。

ちぬの輪

 湯釜神事を行う準備をしていました。
 降りて来る神様は雌山の方から来るようです。鈴など無造作においてあるので、鳴ら
して舞ってやろうかと思っていると気配を察知したHさんが苦笑を浮かべていました。
そうこうしてると向こう側からすらりとした美女が来ました。微笑んでいます。服装は
ラフですが一目で今日の神事で舞う巫女さんだと分かりました。

神様が下りて来る社

 ここから急勾配の階段を登って妙見山本殿へ行きます。
 妙見山本殿はあらゆる神様がおられました。

急勾配の石畳 神様オンパレード


ここにも岩磐があります。 これはなんでしょう?

 さながら博物館で陰陽道の気配が強い。ここは一見の価値があります。
 で、私は本殿裏手へ進みます。剣呑な気が立ちこめています。
 何かなと思うと黒いゴミ袋。中身は仏壇・・・・・
 側に狐が数体も祀ってあります。何があったか想像したくない光景でした。しげさん
はこれも写真に収めます。
 この妙見山からは龍の道が通っているようです。
 それを追っていると山頂に出てしまいました。
 この後、天田神社に行き、お仕事があるMさんとお別れ。我々は獅子窟寺へ向かいま
す。Mさんは後ろ髪を引かれる様子でした。
 獅子窟寺。

拝殿 岩磐の上にはこのように墓が建つ


広角レンズでないと写せぬ岩磐

 異様としかいえぬ巨石がごろごろする場所です。広角レンズでないと岩の全貌が写せ
ぬ程です。Hさんがお寺の方と交渉してる間に私は早速探索を始めました。
 座りたいと思う場所には必ずお地蔵様がいるか墓がある。
 この場所ではかなり多くの真言僧が即身成仏している印象を受けました。
 そのためでしょうか? 僧侶の抑えの気が充満し、私には息がしやすい場所でした。
これが神社なら息苦しくなったでしょう。
 その証拠にこの後、住宅街に残された猫の額ほどの森へ行きました。
「星の森の寒月」と名付けられたその場所は獅子窟寺で弘法太子が修法の際、三つの星
が落ちた場所です。守る人もなく祠もないのにここは立派な神社の空気が漂っていまし
た。

 最後に高良神社(祭神不明・逆注連縄)に行ったのですが、ここは古墳もあり私とは
余程相性が悪いのか私は吐き気を覚える始末でした。

本殿内部 本殿
古墳は嫌いだぁぁぁ


 こうして交野散策は終わりました。
 恐らく独りでは行くことは無かったでしょう。
 導き頂いた二人の女性に心から感謝いたします。

旅行記目録