葛城探幽記

 


 
みなさん、どうも。
 慎です。
 葛城へ行こう。
 そう思い立ったのはPITさんとの電話がきっかけでした。
 PITさんが新しいバイクを買い、富士へ行った話を聞き、「良いな。良いな」と連発していたら、PIT
さんが言いました。
「SINさんだってバイク飛ばせば、葛城も三輪もご近所じゃないですか。羨ましい。あたしゃ、一言
主に会いたいんですよ」
 考えてみれば三輪オフで葛城周辺に行った事はない。私的に因縁があるので無意識に避けていたのかも
しれません。
 私のバイクは前カゴ付きのスクーターだが100CCあります。山越えも無理ではありません。
 思い立ったら吉日と言います。翌日、私はバイクを葛城へ向けて走らせていた。(無謀だ)
 結果として高熱と筋肉痛に苦しむ事になりました。やはり一人でミステリースポット行くには無理な身
体になっているのかもしれません。
 一昼夜でお札落ちて来るは家鳴りするわ、手首の念珠は切れるわ、黒龍や光の柱な
どの幻夢が四六時中だわ・・・・・
 でも、意趣返しで書き記しておく事にします。

 夏日の中、まず汗をかきながら聖徳太子御廟に着きます。
 ついたとたん、フル充電のデジカメが電池切れとなります。(-_-;)
 電池を入れ替え、正門撮影。ぶれる・・・・・と言うか、カメラが門の手前の何かに焦点を当てたようです。
その何かは目には見えません。おかげで門は背景として霞んだ形になってしまいました。
 ここは怨霊の気配が強い所です。
 以前来た時(20年前高校生の時だが・・・・・)は春で小雨が降っていたので霊気は弱かったのですが・・・・・
その時も怨嗟は感じました。聖徳太子は祟神なのかと首を捻ったものですが、あながち的はずれではないの
かもしれません。
 以前来た時は廟の回りを回る道がありました。私は小雨の中、光明真言を唱え逆時計回りで八回鎮魂回り
をしたのですが、いつの間にか立入禁止となり厳重な門扉の向こうに姿を見せるのみになっています。
 白い漆喰塗りに見える特殊な御廟で母君と細君と合葬されているのも奇妙な話です。
 ここは寺になっていますが、空気は仏閣のものとも思えません。鏡を奉る社まであります。どう見ても神社
の空気です。
 ただ、様々な僧侶が鎮魂儀式を行った跡は随所に見えます。
 私としては今回も御廟の回りを回るつもりだったんで、宮内庁もむごいなぁ〜と思いながら、寺の奥へ進み
ました。
 やはり以前入れた小山は立ち入り出来ぬようになり、八幡神をはじめとする諸神を祭る神社が新たに出来て
います。この小山、どうやら聖徳太子以前の古墳のように思えます。
 写真を撮ると又電池切れとなる。もう笑うしかない。
 再度祀り直さねばならない理由でも出来たのでしょうか?
 やたらと蜂が威嚇に来ます。
 墓場の前の広場には発掘して出た石棺が陽光に照らされ展示されていました。

聖徳太子御廟 石棺

 前に入れた別ルートの御廟の回りの道も立入禁止でした。
 奇妙にいじくったおかげで、以前よりイヤンな感じの場所になったのが悲しかった。
 休憩所に戻り、カメラの電池を入れ直そうとすると、電池は復活していた。(爆)
 なんだか濃い神山を横手に見ながら竹ノ内峠を越える。この辺りは夜は怖い場所でしょう。
 で、ようやく奈良盆地に出て、しばらく走ると迷った。(^^;
「いわき」の駅を通り過ぎてしまったい。
 峠を越して右折して国道30号線を南下すれば良いのですが、まさか峠下りてすぐ左折とは思わなかったのです。
 戻ってしばらく走ります。あちこちアンテナに引っかかるんで、取り敢えず神社に停車。
 地図確認。
 穴が空くほど地図を見て嘆息。国道30号線って葛城と大和の結界だな・・・・・
 せっかくだから神社に参拝。神明神社だったと思う。
 鳥居の前に蛙の石像があるのは何の印なんでしょう?

 この神社は信仰も厚いようで、きちんと整えられていました。
 祭神は良く分からないけど、父娘の神で水に関わるようです。これでは鴨じゃんかと首を捻る。葛城の抑えの
役目なのでしょうか?
 独身で身軽な時なら時間や日にちも気にせず、アンテナに引っかかるままに進んだもんですが、
今回は一言主の写真を撮ってPITさんに送る目的があります。
 一言主に行く前に葛城坐火雷神社(笛吹神社)と鴨山口神社を探訪ポイントに定めて出発します。
 んでもって・・・・・見事に引っ張られました。( __)_/
 南下してると右の山手より凄く強く引っ張る霊気が・・・・・これは尋常じゃないぞと、農道伝いに山を登り
ます。土葬の墓場を両脇に見ながら「なんちゅう道やぁ〜」と心中で叫びながら神気(もはや霊気ではない)
をたどって山を登ります。
 もはや舗装もされていない細い地道を登っていると、唐突に「気」が変化します。
 これほどの神気はそうそうあるものではないのですが、何故かあるべき社などは見あたりません。せせらぎ
の音が耳を撫で、回りは鬱蒼とした森になります。
(これは現実か?)
 湧いて出たその疑問にバイクを止め、ヘルメットを脱ぎます。
 水気を含んだ神気は内宮なみです。
 道を下りて見ると小さな清流がありますが、せせらぎは手前の森の向こうからです。
 どうやら手前の森は中之島のようなもので霊気の元はここのようです。
(行きたいな・・・・・)
 そう思いましたが、行けば簡単に戻れぬ気がします。恐らくその直感は外れてはいないはずです。
今回は意地でも帰るつもりでした。このままだと取り込まれ兼ねないので、後ろ髪を引かれる思いで道を引
き返します。
 一本道を登って来たはずなのですが・・・・・光景が違う・・・・・( ̄▽ ゚̄
 神域の結界を出たと思ったら、何にもない山の中腹に鳥居がでんと立っている。
 こんなん、行きには見なかったぞ!
 棚機神社。
 鳥居にはそう記されています。
 およそ人の出入りがなさそうな場所なのですが、3基の古墳を祀る神社のようです。
 鳥居は黒。神明様式。

棚機神社遠景 棚機神社

 なぜここで機織りなんだと思いますが、機織りに関わる姫神を「祓戸神社」として手水より先に拝ませる構図が葛城では目立ちました。
 清流は禊ぎにも使ったのでしょう。
 側にはご神木に相当する木もありました。
 で、ようやく葛城坐火雷神社(笛吹神社)に到着。
 人が来るのを拒むかのような細い道を入って行きます。
「・・・・・あ、怒ってる」
 それがこの神社の第1印象でした。
 なんか知らないけど怒気が放たれています。
 ハチと蜘蛛の総攻撃を受けます。境内には日露戦争の大砲が鎮座。向いてる方向がすごく不気味。
この神社は古墳です。葛城の豪族が眠る場所なのです。
 まぁ、身内の墓を暴かれて、骨の処理もせんまま写真に写され一面トップは怒るだろうなと怒気に納得
します。(この日の朝刊に発掘現場の写真が載せられた)

葛城坐火雷神社 本殿奥石室
砲台(三輪に向いて見える)

 ここから鴨山口神社へ行きます。
 なにかと仕掛けが多い神社でした。
 で、一言主神社へ
分からないというのが第一印象でした。社史には一言主が女性とあります。初耳です。我々が知る説話とは
違います。一言主が女性なら天皇は女性に矢を放った最低男になってしまします。土蜘蛛の塚なんかが境内の
目立たぬ所にありますが、意外に瘴気は放っていません。おとなしいものです。むしろご神木の銀杏の木の方
が瘴気を放っています。
境内奥には小さな社が無数に並んでいて、こちらの方が面白い。

一言主神社本殿 土蜘蛛塚
一言主神社銀杏神木 一言主神社奥
一言主神社背後の山

 一言主神社は山を背後に建っていますが、その山の方が面白い気を放っています。山は禁足地ですが、おそら
く山が本体で、その封じに社殿を建てたのではないでしょうか?
 社史には葛城王朝は三輪王朝に滅ぼされたと明確に記してあります。
 ここは封じの神社。葛城と大和の結界なのだと思います。
 時間が余ったので足を伸ばして見る事にします。
 高鴨神社まで行きました。全国の鴨神社の総本山だそうです。
 気持ちが良い所です。ひとつ樹木系の甘い香りを放つ社がありました。
 本殿裏の山はやはり古墳の気がしてなりません。
 稲荷を丁重に奉りますが、本殿なみの気を放つ代物です。
 大きな池があり水神と関わるのは間違いなさそうです。鴨氏と水に関わる女神との関係とはなんだろう?
ぼんやりしていると、「イティハーサが面白いよ」と言う幻聴を聞きます。幻聴で本の存在を知ったのは初
めてでした。

高鴨神社本殿 高鴨神社池

 ここは落ち着いていて再訪したい場所でした。(後日再訪する事になる)
 さらに足を伸ばして高天彦神社(高天原)へ。
 面白い! 実に面白い神社です。京都の月読・室生の龍穴神社と同じ空気をもつ、
 水気が強い神社です。写真写そうと、鞄を社務所に置いたとたん、社務社が全体的に揺れてそのきしみに
うっとりします。(Mが入ってきている・・・・)
 拝む間はスズメ蜂(真っ黒?)が常に側につきまといます。羽音が声明に聞こえるとこがいとおかし。。
 高天原はむしろ冥界に繋がる感じでしたね。

高天原神社本殿 高天原神社近辺


 葛城は武神で男性的。鴨は豊饒に関わる女神と感じました。

旅行記目録