【怖い話】 古墳の祟り
Nさんのお話
長岡京市今里大塚にある"今里大塚古墳"にまつわるお話しです。
戦前の昭和17年3月。
太平洋戦争に突入して国をあげての食料増産が叫ばれ始めた頃、
ここ乙訓村今里で古墳一帯を開墾しようと青年団員から話しがでました。
しかし村人は、あそこには「乙訓の主」が眠り、昔、鍬を入れた者が
怒りにふれて死んだ事があるので、それはやめた方がいいといさめます。
大塚古墳はこの地で栄えた豪族の墓とも言われ、村では
ここを耕したり古墳に入っただけで手足に怪我をし、
不自由な身になった人もあるとして、怖れて立ち入る事のない
地だったそうです。
昭和8年頃、やはり青年団員がここの開墾に踏み切ったそうですが、
青年団長の死で頓挫し、その時に植えた松だけが成長したと
村人は言いますが、それでも青年団員の団長は我々が迷信だ
という事を明かにする、と力説してとうとう開墾する事になりました。
(昭和9年の室戸台風の時、古墳から大蛇が昇天するのを村人達が
見たそうで、もうここにはいないだろうとも判断したそうです)
その仕事が始まり、4月下旬にはイモの苗が植えられましたが
8月、村人達の間で
「やはり乙訓の主が古墳に住んでいる」と噂されました。
イモの収穫をみないまま、青年団長が急死したからだそうです。
(京都新聞社/乙訓・山城の伝説より)