【怖い話】唾

 バブル全盛期の頃の話である。北の新地でホステスしてる友人がいた。一見さんお断りで座るだけで10万円は飛ぶような店に勤めていた。
 当然、客層はまともではない。
 彼女はなぜかヤクザにもてた。
 一種ドスの利いた雰囲気をまとっていたからかもしれない。
 彼女は21歳だったが、同世代とは明らかに一線を画した空気をまとっていた。
 彼女は客からマンションをプレゼントされた。億ションだった。
「不動産屋って言ってるけど広域暴力団の若頭が裏の顔ではぶりが良かったのよ。でもねそんな奴が回して来る物件だから、絶対まともじゃないとは思ってた」
 それでも、ゴージャスな内装、外観に彼女は魅入られた。
「最初のうちはなにか床に落ちている事から始まった」
 朝日を浴びてセックスするのが最高と言う彼女の目覚めは午後2時頃だ。マンションに戻るのは、その若頭と一緒で午前3時か4時だったと言う。
 その内、気付いた。
 物が落ちているのは、たまに一人でマンションに帰った時に限られていた。
 歯磨きのチューブが床に落ち、中身を出している時には、「ああ、これは何かいるな」と思ったそうだ。
 日に日にマンションの空気が淀んでくるようになった。生木が裂けるようなラップ音にもなれてしまった。
 若頭から「部屋がくせぇぞ」と注意されたのも、その頃だ。
 ある日、一人で店から帰り、着替えていると、目前のカーペットが波を打つように揺れていた。驚いて見ていると血まみれの赤ん坊を抱いた痩せた女が頭から順に床から浮かび上がってきた。
 頭、胸、腰、足と順番に浮き出た女は、彼女に赤ん坊を抱いていない方の手を出して「返して」と言ったという。
「ざけんじゃねぇぞ!」
 叫んでその手を払いのけると、ちゃんと感触があって払いのける事が出来たそうだ。
 彼女はその後、卒倒した。
 女の幽霊は毎晩現れるようになった。
 件の若頭はなぜか、彼女のマンションに訪れるのを避けるようになっていた。
「あの男なりになんか感じていたみたい」
「お札も盛り塩もしたけど効果ないのよ。ねぇ、なんか方法ない?」
 彼女はそう言った。
「そんなマンション出ていけばいいじゃないか」
 そう言うと、ドスの利いた低い声で「私は生きてるんだよ。生きてる人間が死人に追い出されるなんてスジが違うじゃないか」
 尤もである。
 私は水晶の結晶を彼女に渡し、今度出て来たら、唾を吐きかけてみなと答えた。
「唾?」
 彼女は不思議そうな顔をした。
「そう、唾」私は深く頷いた。
 次に会った時、彼女は勢い込んで言った。
「唾、効いたよ。凄い。焼いた鍋に水かけたような音がして悲鳴上げて消えた」
 それは良かったと、私は応えた。
 その後バブル崩壊で彼女の勤めていた店は潰れ、彼女も姿を消した。今も音信不通である。幽霊に勝てても、不況に勝てなかったようだ。

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