【怖い話】生き人形の仏罰

 江戸時代後期に松本喜三郎(名前うろ覚えです間違っていたらごめんなさい)と言う天
才的人形師がいた。晩年、故郷の熊本に帰り、そこで村一番の美人をモデルに観音菩薩を
作り上げた。完成してお披露目の日、舞台の幕が上がると光臨されたとしか思えない有り
難い見姿の観音菩薩が二体ある。観客はどよめいた。実は一体はモデルの村娘が観音菩薩
に化けていたのだ。それを知った観客はやんやの喝采を上げた。松本喜三郎の作品は生き
ている人間と区別がつかぬことから生き人形と呼ばれた。件の観音菩薩はお寺に寄贈され
本尊として信仰を集めた。

 さて本題。
 十数年前に大阪でひっそりと松本喜三郎展が開かれたらしい。(私は知らなかった。知
っていれば駆けつけた)件の観音菩薩も展示された。友人のAはこれを聞きつけ生き人
形の観音菩薩を見に行った。会場は小さく人気も無く、Aは生き人形の観音菩薩と二人き
りになった。本物の観音菩薩に見えたと言う。足下にはお賽銭の山が出来ており、お札ま
であった。
 Aは「なんであんな馬鹿なことをしたのか、今も分からない」と悔やんでいるが、人気
が無いのを幸いに、ひょいとお札をくすねたそうだ。
 その瞬間、くすねた手に電撃が走り、激しい怒りの波動を感じたと言う。Aはお札をく
すねたまま、脱兎のごとく会場を逃げ出した。
 帰宅しても、心臓が恐怖にばくばくと言っている。「祟りを受けた」Aはそう思い、翌
日、再度、会場へ行くとくすねた額の倍の金額をお布施したそうだ。観音菩薩は妙に冷や
やかだったと言う。

 飲み屋のカウンターで事のあらましを語ったAは「祟りは防げたと思うか?」と私に
尋ねた。「知らんよ」冷ややかに私は答えた。Aは今も元気で生きているが、少なくとも
得られた筈のご加護をどぶに捨てたのは間違いないと思っている。




怖い話Index