【怖い話】山奥の落ち武者

20代の時、大自然いっぱいの山奥で仕事をしていたました。
後で知ったのですが、そこは隠れ心霊スポット地でした。(世間に広まっていない場所は、
沢山ある様子)

心霊スポットには無関心で、どことなくひんやりした寒々しい雰囲気を、山奥だから瑞々
しいところだと脳内変換していた能天気な私。

興味半分では足を踏み入れないほうがいい土地。でもここ、観光地なんですよね…。

ある人から心(魂)に悪い因縁を抱えている人は、知らずに良くない土地に住む傾向があ
り、その悪い因縁を消化していけば、その悪縁から開放される……と、聞かされたことが
あります。

今は安定した土地に住み静かな生活を送っていますが、辛酸を舐めつくした経験をして自
分が少し成長したなと実感したときから引越しをしても悪い土地に行くことが無く、土地
の障り系がほとんどなくなりました。

だからあの約1年間の心霊スポット地での数々の恐怖体験は、私の運命で避けられないこ
とのように感じます。

またとてつもなく長い話になります。

山奥の仕事場領地内の職員寮で暮らして数ヶ月。

ふと気付くことがありました。

仕事場周辺の雰囲気が昼と夜とが180度異なる…夜は鳥肌が立つような暗くて異様な雰
囲気に包まれるのです。

あまりに気持ち悪く、どんなに休日遠出しても21時には寮に戻るようにしていました。

でもある日どうしても用事で遅くなり、車で急いでも約22時近くになったときのこと。

周辺は不気味な空気がさらに強まっていてとても嫌な予感がし、駐車場から寮までの急な
坂道を急ぎ足で歩いていました。

そのとき、全身の毛が逆立って背中がぞくぞくし、何か背後から迫ってくる何かを感じ、
あまりの異様な気配に思わず私は、後ろを振り返ってしまいました。

そこには生温かい風と共に、
『うおおおおお』
と唸り声を叫びながら、全身血だらけで髪の毛がバラバラの十人近くの落ち武者達が私に
めがけて飛んでくるのです。

恨み辛み入り混じった血眼の十人近くの落ち武者の視線全てが、私に向けられました。

時代劇映画を観ているくらいに生身の人のように見えたのは、初めてでした。

心底恐怖を感じ私は声にならない声を上げて、駆け足で寮に飛び込みました。

バタンと玄関ドアを閉め、涙目でガタガタ震えながら
「お願いだから来ないで」
と、必死に心の中で叫んでいました。

しばらくして落ち武者達の気配が寮内に入ってこないようなのを察知して、寮室に戻り深
い溜息をつきました。

私は、うすうすと気付いていました。

これで終わるのは、有り得ないと。ただ、直感でそう思いました。

それから数日後、仕事を終え寮室でくつろいでいた私は、何か気配を感じると同時に室内
に1人の落ち武者が立っていることに気付きました。生身の人がそこにいるくらいに鮮明
ですが、影がありません。

―――とうとう現れたんだ……どうしたらいいのか……。

とりあえず心を落ちつけて様子をうかがおうと思いました。

今考えるとなぜそこまで落ちついて対応できたのかと感じるのですが、父の実家が落ち武
者の霊を供養していたり、私の周りの人達の不可思議体験や、私自身の様々な経験から自
然と対応できる何かを作り上げていたように思います。

着物はズタズタで、髪の毛はバラバラ、全身血だらけの落ち武者は、どうやらリーダー的
人物のようで、彼は仲間内から代表して私のところへ来た様子。

容貌は現代に合わせると、40~50歳ぐらい。実年齢は分かりません。

話がしたいと、私に訴えてきました。

なぜか私は、この落ち武者をあまり怖いとは感じませんでした。

荒んだ格好をしながらも、目にどこか理知的なものを認めたからかもしれません。

私と落ち武者は、正座でお互い向き合いました。

私は霊でも、そうではないものでも、心の中で思ったことを会話としています。

落ち武者は、語りだしました。

『私は○○(よく聞き取れない)というもので、甲斐から戦のためこの地へ来て死んだが、
無念で仲間と共にこの地を彷徨っている』

戦国時代の落ち武者なら約四百年前ぐらいの霊なのかなと思いながら、話をじっと聞いて
いました。

人(目の前にいるのは霊だけど)の話を聞くのに大切なのは、話の内容を理解する以前に
その人そのものを受容すること。決して否定しないこと。必死に私は、それを心掛けまし
た。

落ち武者と私は、お互い心中に思ったことを会話としているので、否定思考がわけばそれ
は相手にストレートに伝わってしまうので、否定思考や拒否感情は禁物です。

それでなくても私が対面している相手は、ある意味怨念の塊なのですから。

私の対応次第で、何が起きるか分からない。

落ち武者の話を聞いている時、私の心に数百年彷徨っていた彼の記憶や感情が流れ込んで
きました。

それは一筋の光すら差し込まない深い深い闇床で、暗い山中を昼とも夜ともなく休むこと
なく彷徨う。

体からは血が流れて苦痛は直ることなく、心身を極限まで痛みつける。

光の差さない氷のような孤独は、人であることも忘れさせるほどの猛毒であり、必死に毒
に当てられぬように自分達は人だということを、仲間達と叱咤しあう無間地獄の日々。

その地獄は、いつ終えるか誰一人分かる者はいない。

分かることは、ただ助けを求めて彷徨い続ける日々があるだけ。

落ち武者の心情はこういうものなのか……私の想像を遥かに超えていて、ただもう放心状
態でした。

そして彼は涙を零しながら、故郷の妻子や一族は無事だろうかと言いました。

彼自身、数百年も一番苦しい記憶をかかえて彷徨っているのに、自分の家族を心底心配す
る。

この落ち武者は誠実で優しい人柄だというのと、物腰や話し方に品があり教養のある家柄
の出身なのだろうというのが少しずつ理解できました。

生まれた時代が戦が盛んで、運悪くこのような運命を辿ることとなったのでしょうか。

落ち武者の数百年の辛く悲しい想いが溢れ出し、話がつきなくいつ終わるか検討もつかな
い状況になったので、
「いつもお世話になっているお坊様に供養の仕方を教わるので、それで勘弁してください」
と、私は必死にお願いしました。

すると落ち武者は、
『あいわかりもうした。よろしゅう頼む』
と言い、姿を消しました。

あっという間に数時間が経過しており、しばらく私は正座した足が痺れまくって動けませ
んでした。

私はすぐお坊様に供養の仕方を教わり実行したところ、落ち武者達は少し気持ちが落ちつ
いたようで、血糊のない着物と髪を整えた姿で、数人現れ礼に来ました。

供養の日々は、後日談として書こうと思います。

それから数ヵ月後、秋になり付近で紅葉で名の知れた山へ、私が出掛けたときのこと。

山頂には有名な神社があり、その神社の神宝館には鎌倉・室町・江戸時代の各幕府や大名
からの奉納された物が納められており、骨董品が好きな私は早速館内へ入りました。

そこには刀や鎧が多くあり、その中で私はある物を凝視しました。

それは鎌倉時代の約八百年前の鎧であり、私が見た落ち武者達の鎧の作りとほぼ同じ物だ
と気付いたからです。

四百年前ではなく、さらに昔…八百年前の亡霊の落ち武者達だということが分かりました。

八百年経っても成仏できない人の悲しい業が、私に重くのしかかりました。

そして職場を含む土地一帯は、古戦跡だと知ったのはそれから間もなくのことでした。

昔からこの地域では、落ち武者の叫びや姿、馬の嘶きや足音が時々聞こえるところだとい
うことです。

追伸

この落ち武者達を見たのは私だけではなく、同じ寮に住む同僚達の中にも目撃者がいまし
た。

その人は、部屋の押入れを開けたときに落ち武者達が見えたとのこと。(なんで押入れに
いたのよ、あの人達は…)

ちなみに私が供養を開始した後、職場付近の夜の雰囲気は前より重苦しくなく嫌な感じは
無くなりました。

落ち武者達が彷徨っていた八百年の間に、いろんな人が目撃しているような気がしますが、
最終的になぜ私の元へ訪ねて来たのか。

もしかして母方の先祖が落ち武者なのが関係しているのか……真意は今でも分かりませ
ん。

※落武者は供養が困難である。攻撃本能に支配されていて、およそ理性と言うものがない
 からだ。朝子さんがどのような供養をしたのか興味が尽きない。
※落武者と言えば東日本の山中がメッカだ。関西では平家の落武者程度だが、それと比べ
 て東日本の落武者は気性が荒い。典型的地縛霊なので、その土地から逃げれば害は無い。
(一般論)
※七生祟ると言う言葉からも、怨霊の寿命は300年から400年なのだが、800年怨霊する
 には相当激しい恨みが必要だろう。事実、古来の人は気性の激しさが現代人のそれでは
 無い。こんな者を供養した朝子さんは只者ではない。
※土地因縁に関わらず、悪い因縁ばかりを選ぶ人は存在する。心当たりのある方は自らの
 浄化に励まねばならない。




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