【奇譚】悪魔と天使

 私の通っていた高校は一月末に卒業式を迎える。
 受験日までは個人で頑張れと言う姿勢だ。自己精進に自信の無い者は申し出れば、引き
続き登校を申し入れれば良い。そんな奴は数えるしかいない。

 私は希望校のレベルを下げていたので、図書館へ行くと嘘をつき、毎日、嵯峨埜や山辺
の道を散策していた。目を瞑っても合格するとの妙な自信があった。

 ただ、ハイキングコースを歩むのではない。気が引かれる獣道を進んだ。不思議な体験
は多々あったが、その中でも群を抜いた得意な話がある。

 山辺の道の獣道を霊波を追って彷徨っていると、白毫寺に出た。土で作られた仏に見入
り、禁足地に入って不思議体験をして、寺を後にした。
 時間は午後三時を回っていた。
 陽が傾きかけている。帰路に着かねばとバス停に行くと、リュックを背負ったおじさん
が呆然と立っている。
「どうしました?」と尋ねると、「バスが出てしまったみたいだ」と言う。
「次のバスはどうなっています?」
「午後5持だな。仕方無いから、私は待つよ。君はどうする?」
 当時の私は脚力に自信があり、かなりのせっっかちだった。
「歩きます」と答えて、下り道を選んで下りた。方角的に近鉄の架線にまで出る筈だ。
 そうなれば儲けもので、架線沿いに歩めば南大阪線の駅に着く。

 高校3年生で、勉学のかたわら剣道をしていたので脚力には自信があった。普通に歩ん
でいても、同級生に「早歩きすんな!」と言われた。今とは随分違うものだ。
 途中、お椀の様な綺麗な丸山があり、頂上に朱の鳥居だけがある小山を見つけた。獣道
すら無いのに、鳥居の朱色は今塗りおえたのか思う程に鮮やかだ。強く惹かれた。一方で
常世のものでは無いのだろうなと思った。私を誘っているのだろうと確信したが、18才
でこの世と見切りをつけるにはまだ未練が多すぎる。
 無視して西への道を進んだ。500メートル程進んで振り返ると山は消えていた。

 不思議と騒ぐことも無い。民俗学で『神隠しに遭いやすい性質の子』と呼ばれる存在に
は日常である。

 3キロほど歩いたら藪が無くなり、近鉄の架線が見えた。漸く人界に戻ったと安堵の息
をついた。
 南へ10キロ程歩けば桜井の駅に出るだろうと目星を立てて進む。架線は盛り土の上に
有り、今の様に路線への進入を防ぐ鉄条網は無く、代わりに鉄道関係者が点検に歩む小道
がある。歩くのが随分楽だ。
 20分程歩いて前方の異変に気付いた。
 500メートル程前方の視界がかげろうとも蜃気楼ともつかぬもので覆われている。
(随分でかいな……)
 そう思い首を傾げた。こういう現象には巡り会ったことがない。手前、100メートル
辺りで私は立ち竦んだ。
 巨大な悪魔が両足を抱えて座り込み、頭を膝の間に埋めていた。座り込んでも、頭は電
車のパンタグラフに接する大きさだ。

 悪魔と言ったが、他に表現を知らぬだけだ。
 その姿はドラゴンボールのピッコロ大魔王だったのだ。
 頭からは二本の触手が伸び、全裸でお尻から先端が矢尻の様な長い尻尾があった。西洋
の古い書物にある悪魔の姿だ。肌は鮫肌で燻し銀の色をしており、動く様子が無い。

(どうしよう?)

 途方に暮れた、姿は悪魔だが、悪霊ほどの瘴気も無い。だが、近づけば何かされない保
証は無い。なにより、その巨躯に圧倒されて身動き出来ない。すると頭に渋い中年の男の
声が響いた。

『疲れているんだ。ほっておいてくれ』

 悪魔も疲れるのかと新鮮に思った。それでも、その巨躯には圧力がある。距離を置き、
大きく迂回して通り過ぎた。その正体は分からないが、悪い瘴気は感じなかった。
 異形との遭遇の後だから、駅に着き帰宅の最中は緊張したが、特に何も起きることは無
かった。

・天使の事
 これは怖い話だと思う。
 クリスマスも近い冬の夕暮れ、食卓に座って夕餉を待っていたところ、二階の自室から
強い圧を感じた。
(何か来たのかな)
 部屋には結界を張っているので、浮遊霊程度は入れない。
 確認に二階に上がった。うめき声がする。
 ドアを開けて、絶句した。
 ベランダに向けた大きなガラス戸が開いていて、そこに腰掛け、金髪の天使が頭を掻き
むしって、うめき声を上げている。余程、強く掻きむしったのか、赤い血が顔に流れてい
る。ドアを開けたとたん、天使は驚愕した表情でこちらを向いた。大きく見開いた目には
明らかに狂気が浮かび上がっていた。天使は大きな声で驚きを表して、天へ向かって飛び
去った。
 驚いたのはこちらであったが、天使が狂う事態を想像すると、恐怖を抱かざるを得なか
った。
 
 

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