三輪山探訪記(8)
三輪山頂雲海
 みなさん、どうも。
  SINです。
 私にとっての第8次三輪山探訪は、私が主催するPATIOの女性陣が伊勢へ旅行に行か
れている時にすでに始まっていたのかもしれない・・・・・
 女性陣が伊勢へ旅行されている間、私は高熱で床に伏せっていた。
 いくら高熱があるといえども、おかしなくらい睡眠を取っていた。
 時折目覚めるのは女性陣達が「逸」なポイントで事を済ませた後ばかりである。
 その度に確認のTELをしていた気がする。
 霧に包まれた瀧原宮の禊ぎ場の光景は私には現実のものとして思い浮かべる事が出
来る。まじに幽体は彼女たちとともにあったのかもしれない。

 熱が収まった頃、夢を見た。
 夢枕には斎王が立たれた。
 白布だか、白い布だかに包まれた鏡を胸に抱いていた。
「このご神鏡とともに私は五十鈴川で命を絶ったのです」
 そう彼女は言う。
 無念が伝わってきた。
 唐突に古代飛鳥の光景が開けた。一人の女帝の姿が見えた。
「彼女は殺されたのです」
 その死を契機にこの国の女性の地位、巫女の地位が零落したようであった。

 目覚めて考え込んだ。
 夢である。
 が、極彩色であまりにリアルだ。メッセージの内容も妙に具体的だった。
 歴史的知識は私は皆無なので、Tさんに尋ねて見た。忙しい中、Tさんは調べて下
さった。
 その内容は下記の通りだ。(Tさん引用ごめんなさい)

>>斉明天皇について。。。。
>>生年 594〜661年(推古2年〜斉明7年)
>>敏達天皇(推古天皇の夫)の孫、茅渟王の王女。
>>母は吉備姫王。
>>名・・・天豊財重日足姫尊 いみな・・・宝
>>
>>高向王の室となり、漢皇子を産む。
>>後、舒明天皇の皇后となり、中大兄、大海人を産む。
>>舒明天皇崩御により、皇極天皇として即位。(642〜645)
>>645年、大化の改新(乙巳の変)により、そがし滅亡後、
>>弟、軽皇子(孝徳天皇)に位を譲るが、孝徳死後、再び皇位へ。
>>この時、斉明天皇として即位。(655〜661)
>>661年、百済救援の軍を率い、九州朝倉T広庭宮へ。
>>その地にて、病没。
>>陵墓は奈良県高市郡越智崗上陵に否定されている。
>>
>>斉明天皇在位中の事件
>>643年(皇極2年) 山背大兄王(上宮一族)滅亡
>>644年(皇極3年) 大生部多(おおうべのおお)が、常世の神と称し虫を
>>           祀り人民を欺く。(秦氏の軍が鎮圧する。)
>>645年(大化1年) 乙巳の変により、蘇我氏滅亡。
>>           軽皇子即位(孝徳天皇)
>>           中大兄皇太子となる。古人大兄皇子死亡。
>>           難波の宮へ移る。
>>649年(大化5年) 蘇我倉山田石川麻呂死亡。
>>659年(白雉1年) 改元
>>653年(白雉4年) 遣唐使派遣
>>           孝徳天皇と中大兄の対立が深まり、中大兄は
>>           孝徳皇后である妹・間人(はしひと)と母(斉明)
>>           とともに、大和へ帰る。これに文武百官が従う。
>>654年(白雉5年) 孝徳天皇難波宮にて崩御。
>>658年(斉明4年) 有間皇子謀反。
>>661年(斉明7年) 百済救援のため、新羅討伐に進発。
>>           斉明天皇病没。
>>
>>と、いうことで一般にいう「通説」です。
>>
>>古人大兄皇子は舒明天皇の子供ですが、斉明の産んだ子ではないです。
>>斉明の産んだ子供は、中大兄(葛城皇子)と間人の二人ではなかったで
>>しょうか。大海人皇子は、中大兄とは同母ではないと言う説が濃厚です。
>>ちなみに、天智(中大兄=葛城皇子)の皇后は「倭姫」古人の娘です。
>>T諸兄は敏達天皇の子孫です。
>>
>>
>>次に、おたずねの斎王様ですが。。。。
>>おられましたよ。該当しているのではないかと思われる方が。
>>
>>★明和町のホームページより**********************
>>
>>身の潔白を証明するために自ら命を絶った斎王
>>第5代斎王 稚足姫皇女
>> 雄略(ゆうりゃく)天皇の皇女で、別名、栲幡皇女(たくはたのひめみこ)
>>とも呼ばれています。
>> あるとき、湯人(ゆえ)の廬城部連武彦(いおきべのむらじたけひこ)が皇
>>女を妊娠させたと言いつけた者があり、天皇からの使者に詰問された皇女は
>>「わたしは知らない」と答え、その夜にわかに神鏡を持って姿を消してしまい
>>ました。
>> 人々が皇女を探していると、五十鈴川のほとりで虹が蛇のように立ちのぼっ
>>ていたので、不思議に思ってその辺りを探してみると、神鏡が埋められてお
>>り、その近くで皇女は自らの命を絶っていました。その遺体をあらためてみて
>>も、水のようなものと白い石が認められただけで、妊娠しているようすはな
>>かったということです。
>>
>>***********************************
>>
>>以上、抜粋ですが、一説によると首をつって死んでいたのではないかとも。
>>雄略天皇は456年から479年の在位となっています。
>>斎王として実在が確認されるのは大来皇女が最初で、
>>大来は天武天皇の娘です。(大津皇子の姉です。)
>>
>>それから推古天皇から天武天皇までは斎王は立てられなかったようです。
>>推古以前は実在が確認されておらず、天武朝からと言うところが
>>伊勢神宮の成立などを考えると、おもしろいところです。
>>
>>上記の斎王がどこに祀られたかは、手元の資料では不明。
>>図書館、書店などで、斎王に関する著書を探せば、わかるかも知れませんが。

 斉明天皇はシャーマン色が強かった方のようだ。
 しかし、この内容はなんなんだ?!
 私にどうしろと言うんだ?
 とりあえず、無かった事にしておいた。
 FKYOTOの仮装オフの翌日。
 Rさんがお見送りにわざわざ来て下さった。
 その時、薔薇の花びらを丸めて作った玉のロザリオを見せて下さった。
 滅多に姿やお声を聞かせぬ、あの方の声が頭で響いた。
「これです。これをもって彼女たちへの慰撫を御願いします」
 そのポイントは5カ所。映像で送られた。
 
 第8次三輪山探訪のコースは本来は第7次三輪山において行われるコースだった。
 竜王山裏手が面白そうだとの単純な発想から生まれたコースだ。
 後日、HPで知り合ったZOUさんから貴重な資料本をお借りした。自分が考えたコ
ースが何者かに入念に仕組まれたものに見えて来た。
 正直そら恐ろしいものを感じた。
 私達がこれまで興味本位で回ってきたコース。それすら仕組まれているのではない
か?
 私の後ろはいつからこんなに女性ばかりになった?
 今回の三輪で全て終わるのかもしれない。そんな予感を抱いた。

 薔薇のロザリオは簡単に入手できそうになかった。
 手に入るまいと思っていた。
 ほろりとそれをこぼすと、Rさんのとは異なるが、私が理想とした大きさ形状の
ものをMさんが見つけてプレゼントして下さった。(Mさんありがとう)
 
 ロザリオが手元に来た時から、私の心にぽかりと穴が空いた。
 悲哀と言う名の穴だった。
 禊ぎの場所も祈りの場所も指示されている。
 私は腹をくくらざる得なかった。
 瞑想のおりなどに、いつも聞くせせらぎの幻聴がひときわ大きくなり出した。

 出会いとは面白い。会うべき時に会うべき人と出会っている気がする。
 気まぐれでHPを立ち上げ、suseriさん、ZOUさん、色んな方と出会った。
 ZOUさんがお貸し下さった本は三冊。
 三輪前に2冊は読了した。
 内1冊は格別に面白かった。

【書名】  増補大和の原像
【著者】  小川 光三
【出版社】 大和書房

 その名前だけは知っていた。残念ながら絶版である。真っ先に読んだが素晴らしい
内容だった。
 インターネットで捜して見たが見つからず、結局、ZOUさんが扱う書店を見つけ
てくれた。残1冊だった。迷い無く購入した。
 今回のレジュメにはその地図の部分のみを抜粋した。
 この本では冬至の太陽を拝む本来の祭祀の場所は鏡作神社ではないかとしている。
 また、二上山のすそ、大穴虫峠は「オオナムチ」で太陽観測の目印ではなかったと
もしている。
 二上山は大国主(オオナムチ)と少名彦が作ったとの伝承がある。
 出雲の神が大和と大阪の結界に相当するこの山を作ったとされるのは興味深い。
 二上山を人工と信じる人は皆無だろうが、私は伝承には意味があると思う。
 出雲・吉備・葛城・鴨・秦・多と言う古代の有力勢力が、大和にて混在していた時
期は確実にあったのだと思う。
 で、私は迷った。
 三輪へ行くのに電車で行くか、深夜、大穴虫峠を通り鏡作神社で朝陽を拝んでから
行くかである。
 私の背後の気配はバイクで鏡作神社へ行くのに良い感情を持たなかったようだ。
 当日、深夜2時にいったんは起床したのだが、「やめなさい!」との声がかかっ
た。
 素直に従った。逆らえばろくな事はないのは経験で知っている。
 それでも早めに家を出た。なんだか無性に朝陽が拝みたかった。
 満員の通勤電車に揉まれていると電話がなった。
 7時半である。
 ドタキャンかなと思い電話を取るにKさんであった。
 朝起きると右目が腫れている。医者に行ってから合流したいとの事だった。
 Kさんには悪いが内心無理だろうと思った。
 タイムスケジュールの問題もあるが、この手のストップがかかる時、無理するとろ
くな事は起きないのは経験で知っている。
 未練がありそうなKさんの声に「それでは治療が終わった時点で電話して下さ
い」と答えた。
 我ながらすげないとは思ったが、事、三輪に関しては見捨てる覚悟も必要なのであ
る。無論、自分が見捨てられる覚悟も必要だ。

 桜井には一時間ほど早く着いた。伝令が来たので東京組は先にミスタードーナツに
いると知っていた。
 懐が寂しいので、キャシユサービスでお金を引き出し。
 待ち合わせのミスタードーナツへ。
 修羅さんと小角さんがいる。
 修羅さんとは随分久しぶりだ。
 髪が伸び、ダイエットに成功して綺麗になっている。
「また太った」とか言って苛めるのを楽しみにしていたので「綺麗になったね」と言
わざる得ないのが悔しかった。(T_T)
 小角さんは疲れが感じられた。
 PITさんがいない。(T_T)
 尋ねると大神神社へ行っているとのいるとの事。「行きたいならそう言えば良いの
に・・・・・」と修羅さんは不服気だ。
 事前打ち合わせもしたいし、タイミング次第では鏡作神社へ行けるかもしれない。
 電話で呼び出す。
 寝ていたのか不機嫌そうな声だった。いつもの事だから気にしない。バキッ(.☆)\
(^^;
 レジュメと言うにはお粗末な代物を手渡す「旅の友と言う奴ですね」PITさんが笑
う。小角さんは良くやるなぁ〜と呆れ顔である。
 修羅さんは暫し沈黙して中身を見ている。
 をを! 目が輝いて来てる。(^^; 
 本当に子供のようにこの人の目は興味あるものには輝く。子供のように興味ないも
のには全く無頓着な方だが・・・・・(^^;
 まぁ、苦労の甲斐があったと思っていると、立て板に水のように行程について質問
が飛ぶ。
 全行程回れるとは考えていなかったんで、行程は具体に考えていなかった。
 あたふたと答えているうちに次々とみなさん到着。
 ご挨拶やらご紹介やらが行程説明とごっちゃになってくる。
 皆、なごやかに話に花を咲かせているが、今回は丹生川上組、巻向組共に時間との
勝負の行程である。
 早々に出発する事にした。
 小春日よりの土曜の朝だった。

 PIT号は早々に迷走していた。(^^;
 頼りにしていた見鬼君死んでいるしぃ〜
 DVDの「はぁ〜やんなっちゃったぁ〜♪」は強烈だしぃ〜
 ナビの私はマッピング出来ない上に山の霊気にアンテナ当てて道路見てない。寝不
足でふらふらのPITさんに負担を強いる。( __)_/

 いきなり荒神さんへ行く道取ってしまい(最終目的だってば・・・・・)、Uターン。
 んでもって、もうちょい手前の細い道を登り直す。
 なんか本気で細いぞぉ〜と思っていると、左手の小山が古墳とお墓と稲荷で濃い。
 行程に余裕があれば絶対調査する場所だ。
 目指す大兵主神社の手前にも興味深げな神社があったが、とにかく、目的を優先す
る。
 紅葉が華やかな鳥居の前に車を止める。
 すでにアンテナ立ちまくりの状態で車を降りる。
 なんなんだろう? この場所は?
 そこかしこから霊気の柱が立ってる。
 畑の石組み・・・・・あれって段々畑のためにわざわざ組んだのか・・・・・
 すげえ、大業な代物なんですけど・・・・・
 もし、元からあって、残った石組みだけ利用して畑を作ったとすると・・・・・この辺
り一帯壮大な城(グスク・沖縄形式)にならないか・・・・・(..;
大兵主神社入り口の紅葉 大兵主神社ご神木
 修羅さんが風を切るように颯爽と歩いて行く。
 紅葉に歓声を上げ、おニューのデジカメを構える。
 PITさんは興味深げに狛犬と見つめ合っている。
 小角さんは引っかかるだろうと思っていた石組みにきっちり引っかかっている。
 suseriさんは、お初の方々が多いせいか緊張気味だ。
 せせらぎの音が心地よい。
 修羅さんが茶色のサングラス越しに紅葉を見ると美しいと言う。
 ちと拝借するにたしかに光景が変わる。
 参道は東西線にあった。日の出ラインではないかと思えた。
 Mさんのお土産の羅盤で見てみる。夏至日の出ラインのようだ。
 本殿は参道の終点の北側開けた場所にあり、後ろは小山(古墳かもしれない)にな
っている。南面している。計算しつくされた構図だと思うが、参道の終点南側に車道
に面した崖を登る形で台地が作ってある。そこに社が二つあった。
 西側、日没方向に一つ。東側、さらに崖を登る形で日の出方向に一つ。
 寂れた社だが、たたずまいに気品がある。
 やはり大和は太陽信仰の地なのだなと思う。
東の抑えの社 西の抑えの社
 境内に入る。
 大きな一本杉のご神木が見事だ。
 日の出、日の入りにはさぞ面白い影を落とすだろう。
 下鴨神社の御手洗に似た四角の池がある。
 清流が湧き出ている。せせらぎの源はここだった。湧き出る水の量がこの辺りの水
脈の豊かさを物語っている。
 巻向は水郷地帯だったんだなと思う。
 本殿に向かっていたPITさんはすでにどこかに特攻をかけたのか姿がない。
 小角さんは棒を立て、四角に囲んだ地面を見て気を探っている。遠目にその場所だ
け妙に赤いのが分かる。suseriさんは池の向こうの社を熱心に拝んでいる。
大兵主神社本殿内部 大兵主神社池
 私は本殿に向かった。
 修羅さんが、靴を脱ぎ本殿に上がろうとしている。
 立派な社で神主さんも住んでいる感じなのだが、人気は全くなく風の音とせせらぎ
のみが響く。
 私は修羅さんの後に続いた。半紙で神主の方が最近書かれたらしい由緒書があっ
た。
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「大兵主神社 若御魂神社(右)
       兵主神社 (中)
       大兵主神社(左)
 当社は三神殿にして、古典の伝えるところによりますと、今から二千年前の御創建
にかかり延喜式の制で名神大社に列せられ、祈年・月次・相誉・新誉のもろもろの祭
りの官幣に預かり、元禄5年には正一位を賜った最高の社格を持つ大和一の古社とい
われています。
 中央の神は第十代崇神天皇の60年、命を受けて皇女倭姫命が創建され、天皇の御
膳の守護神として祀られ、天孫降臨の際の三体の鏡の一体をご神体とし、御食津神と
申し上げ、生産と平和の神、又、チエの神として崇敬を受けられています。
 右の神は、三種の神器を御守護された稲田姫命をお祀りし、ご神体は勾玉と鈴で、
芸能の神として崇敬を受けています。左の神は纒向山上の弓月嶽に祀られたが、後に
移られてお祀り申し上げています。ご神体は剣(ホコ)で、武勇の神に従って相撲の
祖神となりスポーツ界の信仰をお受けになっています」
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 この神社は単純に相撲の神様と言う知識しかなかった私には、この由緒書は結構衝
撃的だった。
 いきなり倭姫が出るとは思わなかった。
 この由緒書、読みようではとてつもない事を語っている。
 三種の神器、読みようではかってここに祀られていたとも読める。
 拝殿は清らかだった。
 心静かに拝めた。
 ここで引くのがお詣りの礼儀だが、無謀と無節操が私である。
 んでもって、さらに無謀な方が本殿内、禁足地に侵入していて、私を呼ぶ。
 入ってみた。
「ああ〜! こらぁ〜!」
 男の子の声が響いた。厳しく咎めるものではなく、「大人がそんな事していけない
んだ♪」と揶揄する響きのものだった。振り返るが姿はない。
 禁足地内にはスセリ姫も祀られている。大国主もいる。
 スセリ姫がいるよとsuseriさんに声をかける。
 一瞬喜色を見せたが、わきまえがある彼女は禁足地内に入る事はしない。
 流石と思う。
 PITさんは本殿背後、恐らくは本物の禁足地である山の中に入っている。
 こういう時の彼の動作は天狗を思わせる。
 流石に私は山へ入る気はしなかった。
 私達は細い農道を登った。
 大穴兵神社の元地と思われる岩磐群がある。
 小川氏の著作には書いてある。本の記載では神社の横道を真っ直ぐ登ればたどり着く
はずだ。著作には詳細なスケッチもある。
 道は登れば登る程細くなるようだった。コンクリート舗装もプロの仕事に見えな
い。農業関係者の方が作られた感じだ。そうしなければならない程に水量が多いのだ
ろう。
 車で行ける所まで行こうと修羅さんが提案したが、私とPITさんは徒歩を選んだ。
この手の道は、突然、地道になったりしてUターンすら出来なくなる事がある。
 なによりも天然のアンテナが立ちまくっている。
 どこに何があるか分かったもんじゃない。
 で、迷った・・・・・(^◇^;
 小川氏の本では一本道だがY字路になっている・・・・・(..;
 右かしら左かしらとなった。
 普段なら私なりPITさんなり小角さんなり、それぞれ「こっちだよねぇ〜」と逸ア
ンテナで進むんだが・・・・・
 なんなんだ? この土地は?
 そこいら中から気が立っている。
 普通、この手の山道は必ず邪気溜まりが随所に出来、聖地は一発で方向が分かるん
だが、この周辺はそこいら中から神気が立っている。
 事実、登るにつれ随所に岩磐を見つけていた。
 三輪山の中津岩磐辺りと変わらない作りである。
 PITさんは川の流れに何やら気になるものを見つけたようだ。じっと見つめてい
る。小角さんは右手のから流れる気の元が知りたいようだ。
 現実の光景は、男三人が天を見上げたり座り込んで川を眺めて、ぼんやり口を空け
て惚けている状態である。しゃきしゃき娘の修羅さんが耐えられる状況ではない。さ
っさと車を回す手はずを整えている。
 修羅さんとスセリさんが車を取りに戻った辺りでPITさんは左手を少し見て来ると
言う。
 小角さんは「違うと思うけど、こっちの気が気になる。ちと見てくる」と言う。
 私も右手の気は岩磐のものとは思えなかったが、確かに確認したくなる妙に柔らか
な気を感じていた。一緒に右手へ行く。(待ち合わせと言う概念が飛んでる・・・・・(^^;)
「この辺りって気が立ちまくりだね。その癖邪気がない」と言うと小角さんも大変な
場所だと同意する。
 しばし登ると小高い丘が見えた。三本杉がある。
 小角さん、ミカン畑を特攻。
 私も追いかけるが体力不足で休憩。
 頂上についた小角さんに「岩磐でもある〜?」と尋ねるが、それらしきポイントは
ないらしい。
 納得がいかない表情で小角さんは降りて来る。
 道はまだ先があるが、上から見た感じでは岩磐群はなさそうとの事。
 先には何かあるんだろうが、今回の目的ではないので、道を戻る。
 携帯が鳴る。修羅さんからお叱りの電話。ごめんよぉ〜
 しかし、こんな山中で携帯鳴るんだなぁ〜
 Y字路に戻った辺りでPITさんからTEL。
「どうですか?」
「・・・・・う〜ん、農道しかないんだけど、怪しい事は怪しいんだよね」と歯切れが悪い。
 取り敢えずPITさん側へ赴く。
 なる程、こちらもそこかしこに岩磐があるし、やはり怪しい気が立っている。
 しばし歩むと眼前の竹藪が、そこだけうねるように揺れている。
「・・・・・PITさん」そう言って指し示すと、この辺りはもう阿吽の呼吸になっていて、
PITさん特攻。
 こんもりとした丸い竹藪は円墳を思わす。
 PITさんに遅れて私が人一人通れる獣道を進む。後ろには修羅さん。
 スセリさんは、先ほどから突発的行動を行う我々に唖然としている様子である。
 小角さんは警戒態勢で近付きもしない。
 獣道は隧道を思わせる石造りの人工だった。
 古墳の可能性が高い。
古墳なのか? 人工の石組みが見える道 ここは古墳なのだろうか?
 PITさんは小山の中央に登っている。すでに残るものはないようだ。「女性みたい
ですね」ぽつんと呟き降りて来た。
 そのまま道を登ると唐突に開けた台地に出た。終点である。
 駐車場にしてあるのだろうか? 雑草もない。
 農業関係者の方以外来る事もないような場所には不釣り合いな広さである。
 ここからは奈良盆地が一望出来る。
 まさに絶景である。奥の方には岩磐らしき物がある。PITさんは岩磐を乗り越えて
みたが、その向こうは道も無く、ただ森が広がるばかりだと言う。
 小川氏が記載した岩磐群とは違うようだ。
「それにしても・・・・・」私は声に出して首を捻った。
「これだけの場所に社もないのはどういう事だろう?」
 PITさんは取り払われたのかもしれないと言う。
 結局、小川氏が記載した大兵師神社元地は発見出来なかった。
 が、この辺り一帯が予想外に濃い場所である事は分かった。
 時間も押している。
 ここの絶景を眺められただけでも良しとしようと言う事で我々は次の目的地・石上
神社へ向かった。
駐車場?からの光景。絶景である。
(閑話休題)
 聖地とはなんでしょう?
 祝福されたヒトが生まれた場所?
 祝福されたヒトが眠る場所?
 ヒトビトを救済する力尊き場所?
 いずれも否でしょう。
 この世界を構成する力が具現する場所それが聖地です。
 純然たる力の法則の上にそれは成り立ちます。ヒトは関係ありません。
 しかしながら、ヒトはイチジクの実を食べたが故に、その恩恵をこうむるだけでは
飽き足りぬ存在になっていました。
 遺伝子レベルで情報を求めるのです。
 そして聖地を巡り幾多の争いが生まれます。
 聖地にすればヒトは害毒かもしれません。
「思いが世界を汚染する」そのただ中に私たちはいます。
(閑話休題終了)

 石上神社に行く前にトイレ休憩で石上神宮へ寄ります。
 ここの森の神気は好きだが、前回で因縁作ったし、色んな意味でこの神社は好きになれ
なくなったんで、私とPITさんは境内にも入らず駐車場で待つ。
 境内に入った小角さんが何か青い顔で戻って来る。
 因縁でもつけられたんだろうか?(..;
 そそくさと石上神宮を後にして25号線を東へ登る。
 しばし走ると人家も途絶え、山間を縫うようなスカイラインとなります。
 やがて、右前方に異様な妖しさを放つ鋭角の山が見えて来ました。
 ピラミッド状のその山は自然のものには見えぬ造形です。しかしながら人の手で作
られた気もしません。
 放つ気はその姿にふさわしく鋭く研ぎ澄まされて、抜き身の名刀のようです。
 その上空には龍道が通っています。これはとんでもない場所だと感じます。
「あの山はなんだろう?」
 PITさんと二人して不思議に思い、地図を調べていると、後続のスセリ号がクラク
ションを鳴らします。PITさんが車を路肩に寄せて駐車します。
「・・・・・どったの?」と尋ねると「良く知らないが後ろが止まった」とPITさんが短く
答えます。
「聞いて来るわ」と応じて車を降り、スセリ号に駆け寄ると助手席の窓から修羅さん
が首を出してます。
「なんか、あったん?」
 そう尋ねると呆れ顔で「桃尾の滝へ行くんじゃないのか?」と言います。いかにも
そうだと答えると、修羅さんは呆れ顔のまま、顎をしゃくって左横を示します。
 細い横道がありました。(気づかなかった)
 横道入り口に「桃尾の滝」と看板があります。
「看板出てるじゃんか!」非難がましく言う修羅さんに「気づかなかったんだよぉ
〜」と詫びながら、PIT号に戻ります。
 横道に入ると小さな橋を渡ります。
 橋を渡ると明らかに空気が変わるのが車の中からも感じれました。
 右手に小さな社が見えます。
「あれだろう・・・・・」私もPITさんも呟きました。
 石上神宮に比べるとあまりに小さな社ですが、その「気」は尋常ではありません。
 コンクリート舗装された細い道はどこまで登れるか判断出来ません。
 橋の左手の小さな空き地に車を止めます。
 左手は切り立った崖で、岩は水に濡れています。
 こちら側から降りて来る気も尋常ではありません。深い溝が掘られそこを清流が流れ
ています。道の右手は清らかな小川でせせらぎが心地良いです。
 コンクリート舗装の道はそれでも濡れていました。
小道左側の崖・・・・・? 小道右側の小川
 余程強い水脈がこの地下を流れているのでしょう。(後で行った天理ダムは干からび
てました)
 この坂道はかなりの傾斜です。我々が行った時は冬とは言え、気候が穏やかでしたが、厳冬なら、路面は凍結してアイゼンでもしないと登れないでしょう。
(昔は素足で登ったものよ)
 頭に響く声は幻聴と無視。
 小川に架けられた橋まで坂を登り、石上神社の敷地へ入ります。
石神神社入り口
 PITさんが、早い!
 ひょいひょいと飛ぶようにしてポイントを確認し本殿裏を回り、後ろの川辺でしゃが
みこみ何かを一心に観察してます。
 境内までの短い参道には石仏があります。スセリさん、小角さんはきちんと拝んでます。
 私と修羅さんはほぼ同時に境内に入りました。
 修羅さんが歓声を上げます。「気持ちいい!!」
 清らかな水と凛々しい木の香りが混じった実に上手い空気が境内にあふれてます。
 浄財は足りていないようです。社は古びてます。しかし民間レベルで深く信仰されて
いるのでしょう。境内は掃き清められ、寂れた感じを与えません。
 オルゴンも降り注いでます。その量は狭井神社を上回るかもしれません。
 夢見では、ここは薔薇のロザリオを捧げる最初のポイントです。
石神神社拝殿 石神神社本殿社
 本殿にロザリオを置き。伏し拝んだ後、本殿裏へ回ります。夢で見た通り岩磐があり
ました。この岩磐にもロザリオを架け拝みます。
 拝み終わり、岩磐が示す山頂方向が異様に気になります。遥か上の山肌にも明らかな
岩磐があります。ラインが作られています。
 私はいったん境内に戻りました。
 小角さんは境内の一角で温かな気を放つ場所でエネルギー充填しています。
 ただ、本殿はお気に召さぬようで、顔をしかめてPITさんの方向へ行きます。
 修羅さんはひたすら深呼吸。スセリさんは各社にきちんと拝礼しています。
 私は羅盤を取り出しました。
 本殿を拝む方角それは艮でした。
 思わず口の端がゆるみました。
 ここからが石神なのだ。そう思ったのです。
 伊勢と並ぶ聖地で多くの斉宮が仕えた場所はここから始まるに違いありません。
 石上神宮は物部の宝物庫か斎宮の住居跡でしょう。
 蘇我氏により破壊し尽くされたと言う聖地はここからであったかと思います。
 しかし、どのように破壊しても、聖地はヒトと無縁に聖地として存在しています。
 この地は毅然として成り立っていました。
 こういう場所は生半可な気持ちで行くとエライ目に遭います。
 私は心を引き締めました。
 PITさんの側へ降ります。途中、ヒトの悪い思念がたまる場所があり、不快を示すと、
離れて見ていた彼の顔に凄みがある笑みが浮かぶのが見えます。
 相変わらず鬼の類には容赦がない人です。
 右に大きく湾曲する坂を踏み締めるように登っていると、修羅さんが嬌声を上げま
した。何事かしらと見ると、ドングリの実が空中に浮かんでいます。
 良く見ると一本の細い蜘蛛の糸で頭上の枝からぶら下がっているのです。
中央の光がどんぐりです。(^^;
(どういう暗示だい?)
 心中そう思いながら「や、曲芸だね」と言います。横でPITさんが嫌な顔をしていま
した。
 唐突に視界が開けたかと思うと「桃尾の滝」の名に恥じぬ美しい滝の姿が目に入って
来ました。
 そうそう人が来る場所とも思えぬのですが、道の右横は開けた半円形の公園になって
います。入り口の看板によると昔はここにお寺があったようです。さらに道の上には石
仏群があるように書いてあります。
 公園の露出した土はやや赤みがあり、掃き清められています。
 屋根付きの休憩所まであります。毎日誰かが掃除されているのでしょう。
 その公園の向こうに桃尾の滝が見えます。
桃尾の滝・遠景 桃尾の滝・近景
如意輪観音 石碑・・・・・
 公園を突っ切って奥へ行くと、賽銭箱と蝋燭を立てる台があります。
 浄財は潤っているようです。事に日蓮宗がこの場を抑えにかかっているようで、「南
無妙法蓮華経」と金文字で刻んだ大きな石碑を奉じています。
 賽銭箱の左側、崖に面した岩を登りお滝場へ行く形になっています。
 左の崖には沢山の仏様が掘られていました。
 如意輪観音はたおやかで美しいものでした。
 人が入るお滝場は邪念で汚れやすいので、管理はたいそう気を使います。
 ここは精緻を尽くしていました。
 ポイント・ポイントで塩を盛り、邪気払いを行うよう工夫しています。
 着替えの場所こそありませんが、ここが現役の修行の場であるのは間違いありませ
ん。
 滝口は水煙で彩られ、その水煙は陽光と木々の色で多彩な変化を見せています。
 まず、歓声を上げたのは修羅さんでしたでしょうか?
 それほどに清らかで気持ちの良い場所でした。
 私は川辺を指指しました。清い水底に金粉のようなものがあります。
「なに?」と尋ねる修羅さんに「黄銅鉱の結晶です。鉱脈があるんですよ」と答えま
す。
 さて、夢見ではここで滝行するよう指示されていました。
 確かにそれにふさわしい場所ですが、着替えの場所がないのに内心閉口します。
 PITさんに「滝行して良いかな?」と尋ねます。
「着替えあるんですか? 車まで行かないと・・・・・」
 そう答えるPITさんに、用意して来た六尺褌とスポーツタオルを見せます。
 呆れ顔のPITさんに「夢見があったんで・・・・・」と言い訳します。
 女性陣は一時退避。小角さんも男の裸は見たくないので、どっか行きます。
 お滝場にPITさんと私が残ります。
 ・・・・・六尺褌の締め方忘れた・・・・・
 滝行は長時間すれば良いものでもないので、我流で締めます。
「・・・・・危ないなぁ〜」PITさんが苦笑します。
 滝行と言っても、ここでは頭頂に奔流を浴びる事は出来ません。
 その位置は滝の崖を登った所です。お不動さんが立ってます。
 足場が悪いことこの上ないです。お不動さんを置かれた方はさぞ大変だったでしょ
う。
 こんな所で怪我をする気はありません。
 滝口の側に丸く平たい石が用意されています。
 九字を切りその上に立ちます。
(私達はそこで正座したものだけど・・・・・)
 そんな声が聞こえた気がします。
 水煙が全身を包み込みます。
 足下を清流が流れます。
 気候が穏やかと言え、冬ですのであっと言う間に体温が奪われます。
 その分、感覚は研ぎ澄まされます。
 水煙はきつく、頭髪から水が滴り落ちます。ここの水が硬水で非常に美味い事を知り
ます。般若心経を唱える間、滝の上で金色の光がちらつきます。
 久々に気持ちよい滝行が出来ました。
 私が着替えた気配で修羅さんが戻ってきます。
「ここの水は美味いよ」と言うと飲んで喜びます。
「記念撮影しよう!」おニューのデジカメが自慢の修羅さんは提案します。
 小角さんとスセリさんは、上へ登って行ってしまったので、まずは三人で撮影。
 PITさんは二人を追いかけて急勾配の坂を駆け登ります。
 私と修羅さんは休憩所で煙草を吸いながら、滝に見入ります。滝の音以外は殆どあり
ません。
「ここは殆どあるんだね」修羅さんが呟きます。
「なにが?」
「五行だっけ? 水・木・土・金。無いのは火だけだ」
「日もあるでしょうが」私は滝の上を指さしました。
「ほら、木漏れ日で上がきらめいているじゃないか」
「あ、本当だ! 全部揃った場所なんだ!」
 その言葉で、私は再度、羅盤を取り出しました。
 滝を拝む方向は艮でした。
 早朝にここで滝行すれば、朝陽をも浴びる事になるでしょう。その厳かさは想像に耐
えません。
 天理教がこの地で誕生したのは必然だったんだと思います。
 かなりゆっくりしたのですが、お三方は戻る気配がありません。上に何かあるのかも
しれないので、私と修羅さんも坂を登ります。
 体力がない私にはきつい道程でした。登り詰めると、左に直角に曲がる形でさらに凶
悪な勾配となっています。私は早々にリタイアを宣言します。
 修羅さんが登って行くのを見届けて、私は一人、川へ下り、上流へ直進します。
 岩磐があったのです。
 どの位経ったのでしょう? 妙な気配が下りて来るなと思うと、ざっざっと軍靴の様
な足音がします。
 PITさんでした。
 そのまま下りるかなと思っていましたが、L字の所で首を傾げるように立ち止まる
と、くるりと私を見上げます。(やはり気づくのか? この人は・・・・・)
 目で「なぁ〜にやってんですかぁ〜」と訴えて、そのまま登って来ます。
 私は禅定を解きました。
 靴を履きながら「上は石仏あったんですか?」と尋ねます。
 PITさんは首を振ります。
「日蓮宗がお寺建ててましたよ」
「へぇ?」正直私は驚きました。「参拝客来るんでしょうかね?」
 合流した私達は桃尾の滝で再度記念撮影して車へ戻ります。
 すでに午後3時に近い時間です。
 内心都祁はもう無理だなと思いました。
 取り敢えず都祁方向に走り、飯屋で昼食と決めて車を走らせます。
 天理ダムは枯れていてイヤンな感じでした。
 しかし、ダムは枯れていると言うのに大兵主や桃尾の水流の豊かさは何なんだろう
ね?
 偶然、以前に杉山さんに連れて来て頂いたお店を発見。
 くつろいでしまいます。店内でPITさんと小角さんを写すと怪しい靄が写る・・・・・
 日出倭さんから電話が入ります。
 宿には何時頃着くのかと訊いて来ます。まだ行程の半分も回っていないが、諦めて帰
る。宿には6時頃になると告げるに、向こうは今だ温泉だと答えます。
 んじゃ、日が暮れる前に帰ろうぜと車中の人になります。
 PITさん、何の迷いも無く来た道を戻る。
「都祁行くんじゃないの?」
「この方が確実じゃないですか!」
 なんか言外にこんな時間にあんな場所行けるかと言う口調で答えます。
 まぁそうかと思う。
 予想通り、後続の修羅さんは呆れ果てていた・・・・・(^◇^;
 宿に着いたのは6時頃だったでしょうか?
 丹生川上一向はまだ着いていません。車を止めて荷を下ろしていると、クラクションを
鳴らして、合図される方がいた。
 ZOUさんでした。PITさんのパジェロを見て我々ではないかと思っていると私の
姿を見たので、挨拶してくれたのです。
 ZOUさんはお子さん連れでありました。
 他のメンバーもすぐ揃うから顔だけでも見て行きなさいよと拉致監禁します。
 ZOUさんとスセリさんが初対面なのは意外でした。  
 宿の方には私はすでに顔を覚えられていました。前回、ノーパソ持って玄関口で通信し
ていたのが余程印象的だったと見えます。
 やがて、丹生川上組も到着。宴会へ突入。
 今回はいつにも増してお宿の応対が丁重でありました。女将が常についていてくれま
す。やがて、Mさん、Kさんも合流。 
 無理矢理引き留めていたZOUさんは挨拶をされると帰宅されました。
 宴会は佳境に入ります。
 おとなしいふりをしていたスセリさんが地を出す。皆に受けまくる。(善哉。善哉)
 今回は女性陣のパワーが凄まじい。
 女将は修羅さんが我々のリーダーと思われたようです。流石は接客業。人を見る目が
ある。女将は地元の人でなければ知り得ない神社に関わる話をしてくれます。その内容
が前回のTさんが写した不思議な写真の謎を解くように思われたので、やや離れた所
でお殿様にビールを浴びせかけていたTさんを呼び、もう一度話をしてもらいます。
 何事にも隠された真実が存在するものですが、その裏が取れた気がしました。
 女将と話をしていて強く感じたのは、地元の方々が神様の存在をごく当たり前に感
じて生活している態度です。
 大抵の日本人が忘れてしまった大事なものがここでは残っています。
「お天道様が見ている」と言う意識はあるとないとでは、まるで違います。その意識が
生きていれば、先の大戦も起こらなかった事だろうと思います。
 なにやら怒濤の宴会も終了。スセリさんはご自宅へお帰りになり、明日、三輪で再
会する事になります。
 風呂に入り、部屋で一服してると日出倭さんが困惑した表情で囁いて来ました。
「女性陣が夜三輪へ行くと言っているんですが・・・・・」
「・・・・・全員かい?」と尋ねると無言で頷きます。
 小角さんは事前に一人で夜三輪へ行くと宣言しており、すでに先に出ていました。
 PITさんは探偵よろしくひっそりと後をつけるように外へ出ていた後でした。
 正直な所、不味いな・・・・・と思いました。
 私は今回、夜三輪へ行く気はなかったので、酒も自制していません。むしろ先に寝
て、一人早朝に登ってしまおうかと思っていた位なのです。
 取り敢えず意向を確認しに女性陣の部屋へ行こうとすると、廊下でTさんとばった
り出会いました。
「みんなで夜三輪へ行くって?」そう尋ねると「なんか、話がそうなってしまっ
て・・・・・」と困った顔をされます。
 彼女も全員行くのは不味いと思っている様子です。
 取り敢えず、MさんとKさんは残るように説得しました。付き添いは日出倭さんが行
ってくれる事になったので、私は宿でMさんの入れたくれた中国茶を頂く事になります。
 彼女はこの道では玄人はだしの方です。
 香が全身に行き渡るのを感じつつ、今回の三輪は参加者全員への区切りになるであ
ろうと思いを強くしました。
 
 朝、目覚めると、日出倭さんが仁王立ちで外を睨んでいる。
「どったの?」と半ば寝ぼけて尋ねると「雨ですよ」と答える。
 嘘だろうと思いました。何故か今回は晴れるとの確信があったのです。それは日出倭さ
んも同じらしい。何か裏切られた気分です。
 洗面所ではMさんが同じような愚痴をこぼしました。
 頷きながら、内心登れば晴れるのではないかとも思いだしました。
 
 大神神社鳥居前でM/A-Shadowさんご一家と、スセリさんと合流。
 M/A-Shadowさんが友人を一人連れて来るはずだったのですが、連絡取れないとの事な
ので、そのまま三輪詣となります。
 雨足は思ったより強いものです。
 が、山上を見上げると、霧が立ち上がっています。
 これなら大丈夫だろうと一人ごちます。
 狭井神社までの経路も、いつもよりゆったりしたペースで歩いていた気がします。
 皆、昨夜の三輪での話に興じています。
市杵島姫 狭井神社
 狭井神社社務所にて受付を済ませると、入山の番号を見て日出倭さんが顔をしかめ
ます。かなりの方が先に登っておられるようです。
 今回、私は目的があったので、禊ぎ代わりに水で入念に手足を清め、本殿へのお詣
りも時間をかけました。
 他の方々もオルゴン見たり、色々と興じているようで、なかなか登山になりません。
 別に集合の声をかけた訳でもないのですが、社務所横で煙草をふかして皆さんをお待
ちしていると、申し合わせたように集まって来られました。
「でわ、行きますか」
 そう言って入山。
 入山口の注連縄を潜るとき「ようこそ」と山から声をかけられた気がしました。顔を上
げると雨は上がっていました・・・・・

 お滝場までは個人的にかなりきついものでした。
 Kさんもかなり辛そうです。Tさんが励ましています。
 私もKさんもリタイアかしらと不安を覚えます。
 お滝場で一服。
 中津岩磐までなんとか行きます。
 ここは小休止のポイントに暗黙の内に決まってしまっています。誰が言うでもなく、
ここで休憩。小角さんはご神木の気を吸っています。
 雨は上がっているのですが、代わりに霧がまとわりつきます。気温も高めです。
 修羅さんが座って上気して汗をぬぐっていました。その仕草が本当に色っぽい。
 彼女に異性を感じたのは今回が初めてかもしれません。(失礼な言い方だが・・・・・)
 思わず写真を撮らせて頂きます。仕上がった物はやはり美しいものでした。
 ここからは頂上まで一気に登ります。不思議と辛さは消えていました。
 いや、むしろ誰かに背中を押されているかのような感覚です。足が軽い。
 あっと言う間に頂上。
頂上・日向社 祈りを捧げた岩磐
 日向社に参拝。
 雲海の中にいるようで、社は神秘的な光景になっています。
 奥津岩磐へそのまま進みます。
 今回はそれぞれ思いを抱いて詣る方々が多いようです。それぞれお詣りする順番を待
っていますが、決意のようなものが、その表情に見え隠れしています。それを見ながら
、私はPITさんに小声で耳元へ囁きました。「私は例の場所へ行きますで、後はしく」
 PITさんは、少し顔をしかめた気がします。
 一人で隠し岩磐へ進んでいると、後ろからMさんが小走りに追いかけて来ました。
「私も行ったら邪魔かな?」
 いかにも遠慮がちに言います。
 正直な所、余人を交えるのはご遠慮願うつもりでした。
 断ろうと思って彼女の瞳を覗き込みます。
(あ、違う・・・・・)
 そう感じました。奥津岩磐で何があったか知らないが人変わりしています。
「雑音にはならないから・・・・・良いよ」
 気づくとそう答えていました。
 隠し岩磐は人気がありません。
 一瞬、強まった雨足のせいでしょうか? 全てが洗い流された感じでした。
 私が座る場所へ移動しても、Mさんは遠慮しているのでしょうか? 小道から離れ
て見ています。
 Mさんに買って頂いたロザリオを岩磐にかけます。
 そこじゃない!
 頭に声が強く響きました。時期によって捧げる岩磐が違うようです。
 ロザリオを捧げ直し、座禅を組みます。
 拝礼の儀を行い。半眼になります。
(来い!)
 そう念じて定に入りました。
 四方から霧が集まって体を包むのが分かります。分厚いジャケットを着ているのに、
霧は肌に直接絡みつき螺旋を描いて頭頂へ抜けていくのが感じられます。
 上からは風も吹いてきます。顔を撫でていきます。
 現実の風ではないだろうと思います。
 座る岩磐からは、熱い気が体に流入してきます。おかげで全く寒さは感じません。
 どれ位座ったでしょう? すぐ背後で川のせせらぎが聞こえ始めました。水鳥の声も
します。
 見えないが分かります。
 その川は冬の雨の光景ではありません。薄く霧に包まれているが、陽が差しています。
 初夏の景色です。
 女性二人が話し合っている声まで、その川辺から聞こえてきました。
 しばらく座っていると、PITさんが来るのが感じられました。
 彼は結界を切るように歩みます。
 Mさんの横に立ち、私を見ています。
 定に入っている私は、体を動かせません。PITさんが来ている光景も目で確認した訳
ではありません。
 でも、視えるのです。
 どれ位経ったのでしょう? PITさんが小道から私の方へ近づいて来ました。意図的
なのでしょう。足音を立ててます。
 やがて、棒で何かを突き出しました。
 入念に一定のリズムで突いています。
 私の意識は、それでゆっくりと身体に戻ってきます。
 やがて体が動かせるようになりました。私はゆっくりと体を左右に揺らし、「時間で
すか?」苦笑混じりにPITさんに尋ねます。
「戻らないとね・・・・・」PITさんは微苦笑で応えます。
 彼は根ごと倒れた巨木の側にいました。その巨木は根で大きな岩磐を一つ包み込んで
います。その根の網から、その岩を外そうと、PIT医さんは棒で突いていたのです。
 私達は下山の途につきました。
 
 こうして8回目の三輪は終わりました。
 私的にも大きな区切りがつきました。
 
「狭井坐大神荒魂」
 狭井神社の御神符は今回からそう記載が変わっています。
 三輪大明神ではないのです。神社の側でも何か変化があったのでしょう。
「狭井坐大神荒魂」
 その存在に、ここに大いなる感謝を捧げておきたいと思います。

(蛇足)