四度目の三輪山 by PITさん
1998年9月日本列島を直撃した台風は、ここ三輪でも最大風速30
0mに達したと言う。
遠くの方で声が聞こえる様な気がする
呼吸は荒いが、変に身体が落ち着く気がして、時間や体感が無くな
った様な感じがするが、頭の何処かで動かないといけないと警告を発
している、気持ちが良いのだけど頭を起こして廻りをみると、距離感
が無い上、ひどく霞んで見える。
「・・・大丈夫ですか・・・」と話かけてくれる人がいた、虹<2G>
さんか、しげさんか解らなくなっていた。
「なんとか」とか何か返事をした様に思う。「左目の所に時計バン
ドの痕が付いてます」と言われて、ああ、距離が解らないのは左が見
えないせいだ、「腕の上に持たせてましたから」と言うと、納得した
のか「SINさんは下の方へ行っちゃいましたよ」と教えてくれたの
で、ああ、やはり下の方からなんだと思った時には、もう下りはじめ
ていた。
後で聞いた話によると、口の中で何かブツブツと唱えながら降りて
きたそうだが、記憶は断片的にしかなく、紺色のジャケットのSIN
さんを確認した後は、いつの間にかすれ違って、後ろの方から「その
先は何もないですよ」と言うSINさんの声を聞き一度は戻ろうとし
たハズが、気が付くとまた降り初めていた。
・・・ヲリシマセマセ。憶えているのは最後にこの言葉を発したら
視界が開けて、目の前には、大木の倒れた根の跡に芽が出ている。
その後は身体が楽になって、奥の岩磐まで駆けて上がっていく自分
がいました。
1998年12月19日00:15
荷物を車に入れている内に日付が変わっていた。若干の予定の遅れ
を感じながら出発。
前日の準備中にイメージ(忘れ物を少なくする為にする、行動の予
定をイメージする。注;これでも忘れる物は忘れる(^◇^;)すると感じ
た、締め付けられる様な不安が頭をよぎる。今回は少し辛いかもしれ
ないと漠然と感じていた。
行程は、厚木から工事渋滞以降は道も空いていて、ややっこしい名
古屋の乗り換えもすんなりと行き、事故もトラックの横転と黒煙上げ
て待避しているトラックがいた程度で順調だった。針インターチェン
ジ通過後、カーナビの目標を室生寺に変更(時間的余裕が無かったら
直行の予定だったけど、ちと寄り道)。新聞報道で、室生寺の五重の
塔が倒木の被害にあったと読んだ為、前回参拝時の写真に写っていた
ところがどうなってしまったか興味があった為だった。
07:45室生寺
桜井駅集合時間10:00に間に合う必要からなるべく近くの駐車場を探
す、おみやげ屋「おもう」さんに停める、ご近所の方に開店を聞くと
まだまだ先なのでおみやげ屋さんの自宅を案内してもらい、駐車料金
を払う(縦長の駐車場なので昼間は出庫しにくそうだが、早朝で一台
なので楽だった)
地面は霜、枝葉も霜が降り橋などは滑り易くて用心がいるくらいだ
った。今日は寒い、微かな呼吸も湯気になってしまう。
受付は08:30なのでまだ開いていないが、前回もそうだった様に門が
閉まっているでもなく、先に参拝をすます事にする。
件の五重の塔は、直径1メートルはあるだろうかの大木が奥の院側
の屋根を巻き込んで倒れた様子で、塔自身の倒壊は何とか免れた様だ
った、奥の院への階段の反対側にあるお地蔵様は何体か人がいるよう
な生々しさを出していました。
そうこうと散策を終えると、ちょうど08:30になり下山。入り口の門
に設置された、改修募金の箱に志しを入れていると、庭を掃いていた
御老人に「すいませんなぁ」と頭を下げられられてしまって、かえっ
て恐縮してしまいながら「災難でしたね」などとしばらくお話を聞き
、受付に参拝料を納めて、集合場所桜井駅へ向かう。
09:30桜井駅
駅前駐車場に車を停め、集合場所へ。
近鉄線側、JR側と廻るが誰もいない、(..;そういえば桜井駅集合
って、駅のどこか決めてなかった気がする(^◇^;室生寺から桜井の途
中SINさんから携帯に電話が入ったのでここら辺にいるのは確かな
のでサンチェリーを覗いたり(何故かしげさんのそっくりさんがいる
(・・?)しながら、前回あつまったドーナッツ屋さんを覗くと修羅さん
とSINさんがいた(^^)
なんか脂が嫌でコーヒーだけ注文して席に着く。修羅さんをみると
今年富士に行った時にかぶっていたカツラに似たものを使っていた、
同じ物だったら、相変わらず偶然が味方する人だと思った(^^;
今日の予定や、雑談を交えていると日佳里さん、lunaさん、杉山さ
ん、虹<2G>さんと揃い、まずは益田の岩船へ行き次に室生寺( (^◇^;
下見しちゃった)の予定で出発。
あの日の夕方訪れた時は、雨が邪魔をしたのか時間感覚が変だった
のか、今回はひどくすんなり(目的地付近で一回混乱しただけ(^^;)
着く事が出来た。
団地の道路上に車を停めているとSINさんは北の丘の中腹にある
遺跡が気になる様です、双眼鏡で確認したり地図で確認したりしてい
ますが何なのか解らず、取りあえず岩船をみる事にして案内板を眺め
ていたりしていると、「この階段を昇るのですか」杉山さんが言い
ます「そうです、この傾斜が・・・凶悪ですよね」あれ?こんなに急
角度だったかな?
昇り始め階段の一番上に来てから前回の景色と違うのに気が付き「
あ、道間違ったかもしんない(^◇^;、確認してくるからここで待って
てね」と言い残して、階段を下り他の道を探すが道はその一本しかあ
りませんでした。
皆の元へ戻って半信半疑でその道を進むと確かに見た風景に出て、
気が付くと岩船です「こんなに近くないはずなのに(゚゚;」
夏至の時は腰の高さまで茂っていた雑草も大方枯れ、当時見れなか
った道を見て、良く落ちなかったものだと寒い思いをする。
西側の斜面は一見駆け昇るには良さそうに見えるが実際は結構長い
為、助走を殺してしまうのは前回経験済みなので、北側のでこぼこし
た面を足がかりに昇ると、北側の倒木を利用して修羅さんが「こっち
の方が楽〜♪」と言いながら昇ってくる。なるほど、なんて便利な物
が(待遇が違いすぎやしませんかねぇ)と思いながら皆が昇って来る
のを見ている。計7名が昇っても窮屈な感じがしない程には大きいの
が再発見だった。SINさんは北側から来る気が気になる様で方位を
確認している。後に解った事だが、この時私は三輪山の方角を90度
勘違いしていた為、かえって混乱させてしまったかもしれない。
縦長の岩船が開けた方に向かっているのがほぼ南、丘の頂上側(畝
傍山・神武天皇陵・小谷古墳方向)が北側、天香具山・三輪山方向が
東側になるらしい。前回帰路に着いた時通りかかった畝火山口神社は
北側になる、今回も惹かれた方角だったが縁がなかったらしい。
杉山さんは水の溜まった穴の深さが気になるらしく、危うく落ち
かけたり、早速寝転がる修羅さんや皆各々に堪能した後、岩船を後に
する。
途中、大岩が人の通れる幅だけ削れた場所や、巨石の加工場の様に
なった窪地など見ながら降りる。
先行したSINさんと私は、どうも北の丘にある遺跡が気になると
いう事になり、そこも見学してから室生寺へ行こうかと公園を歩いて
いるとオブジェ化している日時計の盤を見て思わす声を出してしまい
まった、そこには数字ではなく、冬至や夏至 秋分・春分の日の出方
向が正確に書かれているのです「この付近に、伝承を守っている人達
がいる様ですね」とSINさんと感心していると、杉山さん達が追
いついて来ました。聞けば、先ほどの加工場の様な場所で見つけた巨
石に金輪を付けてある部分を撮影してきたと言います、遠目で良く解
らなかった部分もデジカメの液晶に綺麗に写っています「クラックも
なく、まるで生えた様に・・・どうやって打ち込んだんだろう」と額
を寄せて考えている我々の耳に、近所の小学校の喧噪や、団地の生活
音が静かに響くのでした。
結局、地図にはその名前は載っていなかったので、方角から見当を
付けて近所まで車、後は歩きと覚悟して、北の丘に向かいます。
そこは、個人所有の土地らしく、間際まで畑になっていて鉄柵が無
かったらムロかと思う人もいるかと言う場所でした。
遺跡は小谷古墳と言い、立ち入り禁止になっていますが、厳重なほ
ど管理は出来ない様で扉付近が壊れているのを幸いに、中に入って見
ますと、岩船方向にポッカリ開いた石室の中に石棺があり左奥に絵の
様な物の跡がありますが、最初それは男の人の顔のように見えたもの
でした。説明には、結局はよく解らないという様な事を長々書いてあ
った様です。
石組みの隙間から落ちた砂の山や、陽の光が救いでしたが、かなり
強いものを感じざるをえませんでした。
昼食は、途中にあったファミレスでとるということにして、丁度ガ
ストがあったのでそこで昼食と言うことになりました。
結局触手の伸びたオムライスにするが、あまり食が進まない。その
辺が何故かlunaさん達には意外に写ったらしい(^^;ダッテェ、流石にSI
Nさんは慣れている様子だったが。
この席で、色々濃い話で盛り上がったりして、長旅の疲れが癒える
様な思いがした。
室生寺はすでにカーナビの世話にならずに行く自信が着いてました
ので(懲りているとも言う(^◇^;)、記憶を頼りに進みました。
室生村に入ると、赤い欄干の橋を渡ります、今思えば水面に沿って
水源に向かう旅でした、川に沿って道を昇ると室生寺があります。
見たところ観光客の数も増している様子なので、入り口の駐車場に
車を停め歩きます、もう一つ室生寺入り口の森の奥が初回の参拝時よ
り視線を感じるポイントだったので、他の方の反応を見たいという企
みもあったのですが。
朝の参拝の時とは打って変わって日差しが心地よいです、地面や枝
葉に白く覆われた霜も今はなく、別の姿を見ている気分でした。
そんなわけで、外れのほうから入って行くことになったのですが、
やはり、SINさんが件の森の方に引かれる様で、(__。( ̄ ゚̄ウンウン
結局民家が邪魔で奥まで行けなかったのでした(^◇^;行けた方が困
ったかも。
参拝料を払い、仁王門を越え金堂に向かう石段を昇ります。
そこは朝の雰囲気とはまるで違っていた、気温は暖かいのに・・・
右手の拝所?から望む石段の向こうにある祠が気になり参拝します
。あとから考えると方向なのでしょうか、天神祠とあり、川上の方向
でした。
下を見ると、皆さん待っていてくれたのか順番に上がってきます、
先に参拝をすませた私は本堂まで降り、あたりを見回すと山の方に人
の歩いた跡が残っていました、見上げると木々の間から岩磐の様なも
のが幾つか見えます(^^;元は神社だったのかな?結局、好奇心に負け
てそちらに行ってみました、微かですが人の通った跡が続きます。
誰かが管理しているのでしょう。
後ろを見るとSINさん達がいません、五重の塔の方に行ったのか
なと少し戻りましたが、天神祠裏山からこちら方向に進むのが見えて
きました。
(^^;あ!やっぱりあれが気になるのか、結局合流のコースになるの
で戻った道を引き返してみると、前方に石垣の様なものが見えます、
また少々先行してしまうかたちになりますが好奇心にかてず進むと、
樹の枝が遠目に石垣に見える様に生えています、騙されたと思った瞬
間引き返しましたが、今思うとあの先に行ったらどうなっていたのか
興味が尽きません(..;
しばらく戻った所でSINさん達と合流します。
「なんか、ありましたか?」合流してすぐSINさんに聞かれて、
山を指して「騙されちゃいました」というと、なるほどという感じで
SINさんが頷き、奥の方へ進まれます。
私はその場で待つ事にしました、全部見る体力が無かっただけです
が(^◇^;
一行は、金堂の裏から五重塔へと進む、幾分西に傾きかけた陽が賽
の河原を妙に明るく照らしている、五重塔の破壊の様子は朝見たより
生々しく目に映った。
ここより先へ進むのは、体中の細胞が拒否しているような気がした
ので織田廟方向へ足を進めると、五重塔の後ろの地蔵や碑が痛んでい
るのに目がいく。
織田廟の後方より、人影があったのでギョッとして固まっていると
修羅さんと杉山さんでした(^^;脅かすなぁ、と思っていると「ここ
で織田ですか」とSINさんが言います「去年の夏至の時、言いませ
んでした?」と言うと初耳だという(..?アデ?
賽の河原のお地蔵様が変に生々しいので観察していると、そばをluna
さんが奥の院目指して駆け上がって行きます。
(..;憑かれたか?と思い、SINさんに「Lunaさんが憑かれた様で
すが!」と視界から消えない内にと思い言うと「なんか、無性に昇り
たいんだ、だけだそうですから大丈夫でしょ」と言います「昇りたい
?無性に?だけですか・・・」(。。;やはり、ただ者じゃないのですね
〜と実感してしまいました(^^)
室生寺を下がると、多少夕食に遅れても龍穴に行きたいと言うこと
で、龍穴神社へ。
地元の方の話ではそれ程遠くないと言う話で、今回は修羅さんが運
転に変わって、龍穴神社が見つかったら声をかける手はずで進む。知
らない道は暗いと言うことで、見過ごして通過してしまったのではと
危惧しだした頃、左手に看板が見えます。駐車場らしいものは無いの
で向かいの工場の空き地に駐車し参拝。
鳥居をくぐると、ほぼ真四角(見ようによっては丸)の広場(参道
)灯籠、狛犬の向こうに拝所のような社があり、山の方角を祀ってい
るものの様です。
先日参拝した河口湖御室浅間神社に造りが似ていると、修羅さんに
言うと「ほんとだ、似てる」と言う感じで何か縁があるのでしょうか
。SINさんは灯籠近くの碑石を気にしています。
入り口にあった看板に掲示された地図をみると、天野岩戸神社の奥
吉祥龍穴があるとあり、車を走らせます。
途中より細い山道に入り昇ります、車一台分の幅しかない道をしば
らく行く右手に天之岩戸神社。まさかここで天之岩戸って?と思って
見たら、やはりあまり関係無いようです。ただ巨大な岩磐が真っぷた
つになる程の何があったところなのか興味がありますが、何故かこの
辺伝承が無い様で悲しいところでした。
山道はさらに続きます、車を走らせしばらく行くと左手の森のなか
に小さな鳥居を発見、吉祥龍穴です。
鳥居は背の高い人なら頭がぶつかる程の大きさで、そこをくぐり山
道を降りると拝所があり、そこから龍穴が臨めます。
先に行ったSINさんが気持ちよさそうな声を上げます。
龍穴の右側の岩棚から流れる清水が一枚岩のなだらかな曲線をなぞ
り龍穴下を流れ下って行きます。
龍穴は崖の岩壁に断層の浸食か大蛇の跡の様に右から左に溝が走り
左下の落ちた四角い穴(龍穴)に続きます。
清水の美しさとそれが、発生させる浄化された様な廻りの空気が気
持ち良い。
皆、思い思いに一枚岩の所で横になったり、清水に玉を触れさせた
りしてしています。
待てよ、ここって何となく子供の頃良く遊んだ八王子の滝場に雰囲
気が似てるんだ。もう十何年も行って無いけれど、あそこはどうなっ
ただろう、小学生が泳げる位の水量はあったはずだが。ただ、あの近
くの山小屋はつぶれたと聞く。
最後は、全員岩の上で横になり、陽の落ちつつあるなか室生の水源
音に耳を澄ますのでした。
吉祥龍穴を辞して、山道から国道に出る頃には幕を引くようにあた
りが暗くなりました。
桜井のペンションに荷を解くと夕食となり、魚のホイール焼きをつつく
頃、小角さんが。エビを殻だけにして「今日はこれぐらいにしといて
やらぁ」と見栄を切ったころ日出倭さんが到着(すいません、寝ぼけ
てたのと知り合いに似ていたので判りませんでしたm(__)m)
今回のサバトは、整体治療と神霊写真がメインとなり夜が更けてい
きます。
多少早く起きすぎましたが、ざっと洗面を済ませてSINさんと食
堂へ。
食事の用意が出来ていたので先に始めましたが、他のメンバーが気
になるのでSINさんが起こしに行きます。食事を済ませボーっとし
ている内に食器をさげにきたようで、お茶が置かれています(..;あで
?SINさん、まだ終わってなかったんじゃなかったけか?
「(;_;)あぁ〜無い〜」と、帰ってきたSINさんが言います「やっ
ぱり、終わって無かったのかぁ」m(__)mごめん、ボーとして店の人に
言いそびれてしまった。
大三輪神社改装はまだ終わっていなかった、いいかげんいらいらし
てきていたが、何か都合があるのだろう。
正月の準備の進む参道や神社の雰囲気に、言いようの無い違和感が
あり、社右手の堂の扉から中を覗いて観て「やはり、主神が三柱なの
か」と思いながら、少し寄り道して皆の所に戻る。
仮社の白州が足の下で心地よい、今日は歩きやすいかもしれないと
思っていると、狭井神社前の池が潰されている。手を引かざるをえな
い理由って、これじゃ豊穣は望めないのでは?
狭井神社で、襷をもらい腕を通して「きついなぁ」と思っていると
「首から下げたら」と修羅さんが言う。なるほどそうだ、捕らわれる
必要はないんだと妙に捜し物を見つけた様な気分になっていた。
昇り始めてから、この山の惨状がはっきりしてきた。
狭井神社登頂口より、山の大木が倒木が目立ちだしてきた。昨日観
た室生寺など、狙った様に倒木している。
小川の方に山林の管理関係者らしい人が、倒木を観察しているので
「おはようございます。酷いですね、台風の影響ですか?」と聞いて
みると、「そうなんです。まだ、ここらはましな方で。上はもうめち
ゃめちゃですわ」と、よほど鬱積していたのか延々と説明してくれる
要約すると、瞬間最大風速300mの強風がまともに襲ったようで、
頂上の社の位置まで変わった程だとか。
21世紀目前でお役目果たせずでは、面目もあるまいなと思いなが
らも胸騒ぎが酷くなっていく。
倒木の根を見ると酷く浅いのに気づく、土が少ないんだ。
巧みにコースが変化してあって、通常禁足地にまで通過させてまで
露出したモノを隠さなくてはならなかったのは、どうでも良いが頂上
は?樹同士が重なりあって岩磐を守っている様なかたちを目撃する頃
には視界は麓まで見渡されるほど遮る木々は倒壊してしまっていた。
祭りの後の、空気の旨さに似たモノが充満している。
製材所の様になった頂上では、社の修理に関係者が来ていて作業中
だった。馬鹿な、9月の台風からいままで社をほって置くはずが無い
昨日?一昨日?、何があった。
何かが壊れる音がした。
「・・・しばらく一緒に遊んだが、やっぱり御山が恋しいと、泣い
てはどじょうを困らせる」っか、と口ぶさみながら(^◇^;奥へ進み、
檜原神社風の鳥居がある奥の岩磐が前の通りだったのに安心してか祀
った後、近くの丸太に腰をかけたら、いつのまにか寝てしまったらし
い。
遠くの方で声が聞こえる様な気がする
呼吸は荒いが、変に身体が落ち着く気がして、時間や体感が無くな
った様な感じがするが、頭の何処かで動かないといけないと警告を発
している、気持ちが良いのだけど頭を起こして廻りをみると、距離感
が無い上、ひどく霞んで見える。
「・・・大丈夫ですか・・・」と話かけてくれる人がいた、虹<2G>
さんか、しげさんか解らなくなっていた。
「なんとか」とか何か返事をした様に思う。「左目の所に時計バン
ドの痕が付いてます」と言われて、ああ、距離が解らないのは左が見
えないせいだ、「腕の上に持たせてましたから」と言うと、納得した
のか「SINさんは下の方へ行っちゃいましたよ」と教えてくれたの
で、ああ、やはり下の方からなんだと思った時には、もう下りはじめ
ていた。
後で聞いた話によると、口の中で何かブツブツと唱えながら降りて
きたそうだが、記憶は断片的にしかなく、紺色のジャケットのSIN
さんを確認した後は、いつの間にかすれ違って、後ろの方から「その
先は何もないですよ」と言うSINさんの声を聞き一度は戻ろうとし
たハズが、気が付くとまた降り初めていた。
・・・ヲリシマセマセ。憶えているのは最後にこの言葉を発したら
視界が開けて、目の前には、大木の倒れた根の跡に芽が出ている。
その後は身体が楽になって、奥の岩磐まで駆けて上がっていく自分
がいました。
登りの時立ち止まって観なければならなかった景観が、今は目の前
に展開している。
奥津岩磐を参拝した後、下りの行程に入ってから、景色を楽しむ余
裕が出来てきた。
元々が、昇り勾配だけで進まないと上れない山なのが、仮設路のお
陰で急勾配になっているのか、すれ違う人達は辛そうだった。
さて、シシガミの頭はどこに落ちたのやらとか木々の間を覗くのも
面白いかもバキッ(.☆)\(^^;
御滝場を通過するあたりより、腰から股間へ針金が入ったような痛
みが始まる。何かの拍子にその先が背骨などにあたる様な感じで、時
々息が止まるが、なんとか狭井神社に到着。
初めてじゃないが、原因に思い当たるものがなかった(..;(実は背
骨の一部が変形しているんだな私って(^^;)
駐車場近くで昼食をとった後、天香具山に行くことになりました。
山は目の前なのに路が無い為、結局山を一周してしまった所に飛鳥
藤原宮跡発掘調査部資料室に到着、やはり日曜日は休みだった(^◇^;
ここに車を停めて、入り口を探しに周辺を散策する。
この山にも天岩戸神社がある。祀る方向は天香具山になっている、
今や神社は寂れたかたちになってしまっていた。
近所の旅行案内所のご老人が良い人で道順を細かく教えていただき
参拝が叶う事になりました。
ここを発つとき、それまで駐車していた場所が藤原宮中央路だった
のは何かの因縁だったのかもしれません。
参道に入る前の空き地に車を停め、天香具山を昇ります。
頂上の神社を参拝し、周囲の絶景を楽しみます。標高152mの天
香具山ですが、盆地の底の平らな場所にある大和三山の一つですので
パノラマで夕暮れ前のこの地方独特の静粛さを味わえます。
間の悪い事に、例の痛みが酷くなってきています、それと一種独特
な雰囲気に押され下山を急ぎます。
すると藪の中に巨石が現れました、「月誕生石」というこの石は、
大きなクラックと、幾つかの文字らしきモノが刻まれたいびつな石で
したが「巨石を見たらまず寝てみよう〜」とか良いながら、人知れず
腰を伸ばします(^◇^;ウ〜ン
この手のものに付き物のダミーの文様などがあるので、カンが頼り
ですが、なにかの方向を示す目印なのではないかと言う気がしました
。
天の岩戸が文字通り天照大神の籠もった岩戸なら室生の岩戸はラゴ
ウ=馬首暗黒星雲大接近時の呪的(古代科学的)対抗の跡かもしれな
い(メディーサもラゴウも共通するのは光に対する魔だから、別物と
思わなくても良いのかもしれない)。
なら、天香具山の岩戸は?この地の北から急角度で隕石が落下した
としたら。地面にめり込んだそれが天香具山を創り、衝撃はクレータ
ーの形で周囲の造山を起こし、地の畝りは火山活動を誘発し畝傍山を
つくり、避難した高台の住人の耳を聾する程のものだったのでは無い
だろうか、この経緯を研究した人間の命名なら藤原宮は隕鉄の採集が
目的であったが、遺伝子に影響のある放射線がまだ残留していれば、
羅刹(人のなかにあり、人でないもの)も多かったかもしれない、葛
城で超常の人が多く輩出されたのも頷けるし、逃げるように遷都した
のも当然だっただろう・・・てな事を言うと私も立派なサイコさんだ
な(^◇^;
上の空になりつつ、ガストでお茶を飲んでから、第四次三輪山オフ
は無事終了したのでした。
その帰途、道に迷ってしまった(^◇^;避難地帯もない一本道の山道
を延々走らされ小倉ICに着いた時はホッとしたものでしたが、後日地
図を調べるに、あの山道が野野神岳じゃない事を切に願う今日この頃
なのでした(^。^;
例の痛みは伊賀あたりですっかり良くなりました(^◇^;何故だろう
ねぇ〜