幼少のおり、父からウチの家系は葛城の鬼に遡ると教えられた。
成人してから、葛城の鬼がどう言うものなのかを文献で調べた。古代葛
城王朝が三輪王朝に滅ぼされたとも知った。
血を見ずには済ませない凶暴な血が内に流れる事を体感した。
ところで、幽霊に取り憑かれたとする。貴方はどう対処するだろう?
誰にも内緒で霊能者に相談するのではあるまいか?
だが、ごく簡単な手法で祟りを祓う手段もある。半ば賭けの様な手法だが……
要は言いふらすのだ。少しでも多くの人に言いふらす。
この話はBLOGにのみアップした。
地域を特定しているし、私の感情が好意的なものではない。お住まいの方
々の反感を買うのが目に見えている。
それでも、今になってHPにアップしたのは呪詛を感じたからだ。
葛城の血が喧嘩売るなら買ってやると熱くなったのだ。私だって喉元狙って
噛みつく覚悟は当の昔に済ませているのだ。
2011年2月22日。仕事で滝畑ダムの側に行った。仕事だったのだが、この滝
畑ダムもゴーストスポットとして名高い。
帰路、以前より気になっていた乳瀧を観るべく父鬼地域へ車を走らせた。
ここは滝畑ダムよりヤバイと事情通は言う。車を走らせると、崖から湧き水が
多く、縁の行者を祀っている。
修験者が目をつける霊場が多く、古くから修験道が入ったことが判断出来る。
父鬼。
奇異な地名と言える。大和から葛城に入るとば口の街道に集落がある地域だ。
ゴーストスポットとしても好事家には知られる。
かなり昔から妖怪が出ると言われていた地域である。真偽は知らぬが、幼女三
人が虐殺される事件があったとかで、おかっぱ頭に着物の幼女三人の幽霊の目
撃談が誠しとやかに伝えられている。
父鬼川に沿って狭い道を走らせたが、奈良側は石垣の土台の民家ばかりで、
車を停めるスペースが無い。大阪側は切り立った崖が続き、その下に清流が流
れる。道は非常に細いので停車させられない。カーナビに寺のマークがあるので、
寺なら駐車場があると思い、車を走らせる。果たして寺はあったが他の民家と変
わらぬ造りだ。だがと私は首を捻る。カーナビの表示は寺だが、目の前にあるの
は紛うことなき神社である。高い丘になっていた、地上からは見上げても本殿は
見えない。
寺の横が狭い広場で、その広場から丘を登る急勾配の石畳の階段が見える。
上にはやや大きな神社がある。しかしながら、この広場、「駐車禁止」の看板があ
る。ままよと停車した。
広場に向かって右の寺は本当に普通の民家で寺とは思えず、入る事ははばかられた。
広場正面の山を登る神社は八坂神社となっている。左の池には弁財天らしき朱の社があり、
なかなかキツイ気を放っている。神社も相当に古いモノを感じさせる。夜ともなれば魑魅
魍魎が跋扈しても不思議がない気配がある。
まずは本殿に挨拶するかと石段を登る。真ん中辺りでやや開けた場所になり、社務社ら
しき民家があるが、お守りもおみくじも無く、堅く扉を閉じている。更に上に伸びる階段
の両横に石碑がある。右の石碑の文字を見て目を見開いた。
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「切蛇掃妖」
そう刻まれているのだ。「マジですか?」思わず呟いた。
蛇を切り刻むことで妖を祓う呪術は存在する。アニメ化された西尾維新の小説「化物語」
の「撫子スネーク」にも出て来るので、知っておられる方は多いだろう。「蛇切縄」そう
呼ばれる呪法だが、神道では蛇は神の化身だ。故に、こんな文字を刻んだ石碑を掲げる神
社はあり得ない。―――筈だった。ぞわりとする違和感を覚えた。
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八坂神社。
明言はされないが素戔嗚尊を祀り、その神社の絵札を貼る家は疫病から守られる。その
逸話は誰もが知っているだろう。彼が切る蛇は八岐大蛇。贄を求め恐怖をもって土地を収
める土着神である。
八坂を名乗る武神が他にいる。武神随一の神、タケミカヅチの妻、八坂刀売神である。
この女神、別の出自もある。諏訪大明神の妻とされる武神も八坂刀売神と言われる。
タケミカヅキはヤマト側随一の武神で八坂姫も戦場を駆けた。一方、諏訪大明神は出雲に
攻め入ったタケミカヅキと激戦を交えつつ、諏訪で陣を構え退け、諏訪の地で大いなる信仰を
もって現代に至るが、共に戦った妻も八坂刀売神。
ヤマトと出雲その両方の軍事責任者の妻として武神を支えた女神に八坂刀売神の名がある。
正直、こんな怪しい女神はいない。
そもそも諏訪の地には洩矢姫なる蛇たるミシャクジの化身の強力な神がおり、これを破ったのが
八坂刀売神と言う説話すらある。私は八坂刀売姫は呪術に長けた武神であったのではないかとすら
覚えるのである。諏訪で洩矢神を打ち破ると言う事はミシャクジを封じる八坂姫の暗躍を感じずには
いられない。
歴史的に表に出ることも無く、祀られる事も無かった八坂姫だが、この八坂神社は八坂姫を祀るの
ではないかと邪推する。蛇を封じると石碑に看板まで上げてそびえる社は川を挟んで神奈備の形を
した葛城山の一部である高塚山を見据えている。
対岸の高塚山は葛城の一族なら間違い無く聖地にしたであろう地形である。同時に軍事拠点
となる。
こんな八坂神社がこの様な石碑を建立したのなら、高塚山は百鬼夜行の地であったのかもしれない。
だとすれば、川を挟んだこの街道は妖に対する最前線である。ここで陣を張らねば妖は街道沿い
に大和へ出る。父鬼の集落の人々は呪的戦闘民の子孫かもしれない。
神社の本殿に祭神の名は無かった。摂社に天照大神を初めとする天孫族の名が見える。
一社だけが菅原道真を祀っていた。単純に考えれば本殿に鎮座する神は天照大神より高位
に座している。
男性の気を放つ社の主は、私を好意的に迎えてくれたように感じた。
拝殿に飾られた日の丸が印象的であった。
神社の横から円を描く様に石碑がある。神社を囲む様な獣道の終点に朽ちた石碑が祀られていた。
「葛城龍王」
激しい敵意が燃え上がるのを感じた。
周囲を見回し、誰もいないことを確かめて、石碑の下を掘った。
ワンカップの酒を入れる様なガラスの瓶が出て来た。
中には蛇の干からびた頭部があった。
ぞっとした。紛れもない呪詛である。その呪詛を今も続ける誰かがいる。
村の唯一の神社の聖域で延々と呪詛を引き継ぐ者がいるのだ。
怒りを恐怖が上塗りした。瓶をジャケットのポケットに入れて、脱兎の様に駆け下りた。
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街道に下りて、父鬼川へ下りようと思うが、行けども行けどもフェンスで囲まれ、偶に
在る降り口は南京錠と鉄条網で堅く口を閉ざしている。地元民以外は川へは下りさせない
と言う執念を感じた。対岸へ渡るつり橋は腐っており、長い年月高塚山へ人が渡っていな
い事を知らしめた。
どうやら、この集落の方々には父鬼川の向こうは禁忌であるようだった。
崩れた材木工場から、人目が無いのを確認して、ずり落ちる様に川辺へ下りた。神域に
近い気が立っている。古代の民がここを霊場にしなかったはずがない。ましてや対岸を上
れば神奈備なのだ。
ご覧の通り、神域にすべき清流が流れている。私は瓶の中の朽ちた蛇の頭部を清流に浸した。
「祟ってやれ。手加減するな」
そう念じた。
写真の通り、対岸は竹藪で磐坐の気配が濃厚だ。
対岸を上り岩磐を捜したい思いにかられたが、すでに夕暮れが近い。体力にも自信が無
い。
封じられた聖地への探索は後日にした。
父鬼の集落の民に見つからぬようにしないと狩られる恐怖もあった。
妖は出るだろう。
夜ともなれば、父鬼川は百鬼夜行になるだろう。だが、私には彼らを畏れる理由が見あ
たらなかった。多分、同族であろうから・・・・・・。
それよりも、この現代に呪詛を続ける人間がいるのが恐怖だった。
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