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「腕のギプスが取れたら連絡しろ」
それが剣道部顧問・鳴神あさぎ先生の命令だった。
何の迷いもなく僕は先生の携帯に連絡を入れた。
「おう。神崎! ギプスが取れたか?」
鳴神先生は明るい声で電話に出た。同世代の女の子のようなハイテンションな声に、僕は少し驚いた。そりゃ、鳴神先生は響子姉と同世代の若い女性だ。だから、そんな声を出しても当たり前なのだが、道場での厳しい張りつめた声と裂帛の気合いしか知らない僕には意外だった。
「はい。おかげさまでギプスは取れました。ご迷惑おかけしてすいませんでした」
携帯電話を持ったまま僕は頭をさげる。
「……迷惑?」
そう言って鳴神先生は笑った。無邪気な笑い声だった。
早朝の呼び出しはともかく、鈴ちゃんを連れて来いと言う理由が分からない。
「僕は良いですよ。でも、彩宮さんの都合は分かりません」
鳴神先生は高笑いした。
「鈴ちゃんだろ? 浩ちゃん? しっかり聞いたぞ」
その呼び方は二人きりの時しかしていない。僕は真っ赤になって言葉を失った。
「神崎。わたしは試合おうと言っているんだよ。審判には彩宮がうってつけだろう? なに、お前が私が試合うと言えば彩宮は必ず来る。そういう女だ。違うか?」
「――――」
確かに鈴ちゃんは来る。夏休みの部活は九時半からだ。早朝に鳴神先生と試合うと言うのは穏やかではない。
こうして僕は鳴神先生と剣を交わすことになった。
七月の終わり。
夏とは言え、早朝の空気は引き締まって冴え冴えとしている。彩宮さんは和服で駅の側で立っていた。萌葱色の下地に紅梅をあしらった振り袖姿でたたずんでいる様は近づきがたい空気を醸し出している。
「おはよう。鈴ちゃん。無理に呼び出してごめんね」
そう声をかけるとガラス玉のような瞳で僕を見つめてから、「おはようございます」ときちんと礼をされた。『絶対零度の魔女』モードだった。帯の後ろに村正を隠している。
「なんだか穏やかじゃないね」
「――まぁね。杉浦さんだけでも油断出来ないのに、鳴神先生にまで目をつけられたら困るもの」
そう言って彩宮さんは拗ねたような顔をする。最近、分かったけど、これが鈴ちゃんなりの甘え方なんだ。僕はそっと鈴ちゃんの髪を撫でた。「にゃん」鈴ちゃんが身をすくめる。可愛いなぁ〜 本当に。
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